Imprimer cet article

Commenter cet article

北京週報>>トップ記事一覧  
汶川と蘆山、2つの大地震の間で成長した中国

 

より強い市民パワーを持った中国

2008年は中国の「公民元年」と呼ばれた。今回の地震発生後、こうした市民行動はいっそう迅速で秩序あるものとなった。蘆山地震発生後30時間以内に、民間から寄付された物資は絶え間なく被災地へと送られ、一部公益慈善機関はただちに義援金や救援物資を送る行動を起こし、一部宅配企業はすぐに「被災地への物資送付は無償」と公告を出し、多くの権威あるメディアや著名人は微博で被災地で不足している物資の情報をインタラクティブに発信した。

インターネットは今回の災害救助活動で独特の情報共有効果を発揮した。政府部門、従来型メディア、SNS、携帯個人メディアがつながった強大な社会公益ネットワークが災難を前にしてプラスに相互作用したことで、市民パワーと市民行動は絶大な効果を発揮した。

より自信を深めた中国の民衆

雅安市宝興県霊関鎮は地震後に水道・電気、通信、交通が絶たれたため「陸の孤島」と化したが、ねばり強い人々はすぐに自力で対応し、家が壊れた場合は外にテントを張り、衣服や食料が不足していれば一箇所に集めて集中的に配った。人々は「救援はすぐに来てくれる」とかたく信じていた。

雅安蘆山県体育館の外にある広場では、あるレストランの主人とその家族、友人らが2つの大鍋を使ってお粥と麺を作り、無料で被災者にふるまった。

地震発生直後の20日午前、雅安市人民医院の外の車庫では、1人の妊婦が無事に女児を出産した……。

ある民族の成長にとって、5年という歳月はそう長くはない。汶川地震から蘆山地震まで、中華民族は玉樹地震と高速鉄道事故を経験した。そしてオリンピックの夢も実現し、万博の伝説も作った。5年である民族が完ぺきになることはありえない。ひいては多くの問題が暴露されることもあるだろう。しかし少なくとも、より良い方向に向かっていると思わせるものだった。

「北京週報日本語版」2013年4月25日

 

   前のページへ   1   2  

查查日语在线翻译
查查日语在线翻译: