魯迅作品で伝える中国の今
では、新たな舞台芸術を模索する若手演出家が100年も前の魯迅作品に取り組むのはなぜか?
1つには、魯迅が非常に影響力のある文学者であり思想家であるにもかかわらず、演劇作品としての上演がきわめて少ないからだ。李さんによれば、魯迅作品は社会に対する反省や批判の精神によって書かれているために、時代や政権によっては避けられる傾向があった。しかし魯迅のインテリ層に対する影響は今も続いているという。「『魯迅は筆を武器に中国の社会や現状を反省した』という声はずっと途切れることなく続いてきた」と李さんは言う。
もう1つの理由は、魯迅作品の持つ普遍性と現代性だ。ある演劇祭の参加作品として中国文学作品の改編を考えていた李さんは、ある日偶然魯迅の『狂人日記』を読み、「これは今の中国人そのものではないか!」と驚愕する。李さんは「ほぼ100年も前の物語だというのに、まるで今の中国を描いているようだった。今日の中国人の生存体験を表現していると思った」とその衝撃を振り返る。
演劇作品『狂人日記』は、魯迅の同名小説に現代的な角度からアレンジを加えたものだ。「例えば、『人食い』。魯迅小説では、人を食べるのは中国の伝統的文化、封建的な礼儀と道徳だった。その文脈には五四新文化運動があり、伝統への反省があった。自分たちの作品には『今日、人食いは中国人にとって何を意味するのか?』という観点を盛り込んだ」。
「老死、病死、憤死、衝突死……いい死に方なんて1つもない」という台詞には、現代中国人の生存体験が反映されている。生存状況がますます熾烈になる現代中国社会では今、「官二代」と呼ばれる官僚二世たちが車で人をひき殺した事件や土地の立ち退きにまつわる悲劇など、様々な報道があふれる。「『人食い』は現代中国社会の巨大な矛盾、つまり不公平や不平等だ。私たちの作品には、巨大な矛盾の中で生きる人々の生存体験という現在の立場からの観点が表現されている」。
李さんはこうした現代における「人食い」についてこう語る。「中国は今、非常に特殊な歴史的時期、転換の時期にある。中国の現代化プロセスはまだ完了していない。1949年に新中国が成立した際、ある意味における平等は実現したものの、その後階層が分化し、文革以降は権利と資本とが結びついて社会における大きな圧力となった。劇中表現される意識は、転換の時代にある中国特有の特徴だと思う。日本にも不公平なことはあるだろうが、中国とは脈略を異にするものだ」。
日本公演への期待
李さんはF/T参加にあたっての期待を次のように語った。「魯迅と日本との間には非常に深い縁がある。日本には竹内好のように魯迅の思想を借りて日本を反省する思想家がいる。魯迅研究者も多く、彼らの魯迅に対する研究は非常に深いものだ。そんな日本に魯迅の小説をベースにした演劇作品を持っていったらどうなるか。中国の現実や中国人の生存境遇、生存体験について、日本の観客はどう感じるか。こうしたことについて日本の観客と対話してみたい。また、日本の観客や演劇関係者がこの作品を芸術面でどう評価するかについても興味がある」。
F/T12は10月27日(土)~11月25日(日)の約1カ月間にわたって行われる。そのうち公募プログラムは11月7日(水)~11月24日(土)まで。新青年芸術劇団『狂人日記』の公演は、11月10日(土)~11日(日)に東京・池袋のあうるすぽっとで行われる予定。
■フェスティバル/トーキョーのホームページ
http://festival-tokyo.jp/
「北京週報日本語版」2012年10月17日 |