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日本人残留孤児の中国養父母を慰問し続け20年

 

誰もが柔和な顔だった中国の養父母

この時の訪問で私がとくに印象強く感じたのは、養父母の人たちは誰もが柔和な顔をしていたことだった。話し方もゆったりと落ち着いて、相手への思い遣りを込めて労わるような口調だった。「このような人たちだからこそ、戦争をしている敵国の子供を引き取って育ててくれたのだろう」と、私は日本人として感謝の気持ちでいっぱいになった。「中国の養父母に感謝をする」という劉団長の母親の気持ちがいくらかは理解出来る感じがした。

日本人の訪中団と養父母やその家族と一緒に記念撮影 (東京中国歌舞団提供)

 

この訪問で劉団長は、すでに日本に帰っていた日本人孤児(当時60歳)の女性から一通の手紙を預かっていた。ハルビンに住む中国人の養母(同77歳)宛てのものだった。

手紙には、「お母さんの目が悪くなり心配しています。手術をしてあげたいが、それもできない。せめて大きなテレビを買って見てほしい。夏は暑いので扇風機を買ってください。」と書かれ、現金が添えられていた。

養母によると、日本人孤児の女の子はその時5歳とのことで、畑の中に隠れて震えていた。皮膚にはおできのようなものがたくさんあり、そのままにしていたら寒さと空腹で死んだだろう、という。養母にはすでに3歳と2歳の子供がいたが、「2人育てるのも3人育てるのも同じだ」と、大工をしていた夫と話し合って育てることにした。養母の子供はその後7人になったが、日本人の孤児は長女として自分の子供と分け隔てなく育てた。手紙ではそのことについても書かれていた。

「当時は衣類や食べ物もあまりなく、本当に貧しかったけれども、両親はとても仲が良く、けんかをしているところを見たことがなかった。お母さんは子供たちを平等に育て、私を長女として他の子供たちよりも大切に育ててくれたことにとても感謝しています。」

中国語で書かれた手紙を劉団長が読んでいると、養母は時々頷き目頭を押さえながら聞き入っていた。訪中団の日本人の多くの人も涙目になっていた。私はカメラのファインダーをのぞいていた目が、涙でかすみ映像のピントがぼやけてしまった。国同士が戦争をやって互いに殺し合いながら、兵士は人間性を失っていく中で、前線にいる国民同士は敵味方の区別なく、助け合えることを改めて強く感じ、人間としての本来の在り方を教えられたように思った。

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