■受け継がれる藤野先生の心境
案内をしてくれた朴澤さんが所属しているのは、「GOZAIN」(ございん、宮城県の言葉で、「どうぞおいでください」という意味)という仙台市を拠点とするボランティア英語通訳ガイドグループである。外国人旅行者を「おもてなし」するのが主だったが、震災があってから通訳ガイドの仕事が中心となり、海外のジャーナリストや画学生に被災地に案内したり、在日大使館職員関係者に仙台を案内する仕事もあるそうだ。

朴澤さんと「国宝」に指定された大崎八幡宮にて
このような仕事の中、朴澤さんが一番やりがいを感じたのは、「案内した人との付き合いが長く続くことだ」という。彼女が案内した台湾人からの葉書や、米国人と再会したときの写真を見せ、嬉しそうに話をする朴澤さんは、活き活きと目が輝き「民間大使」の神彩が光っていた。
魯迅の留学時代、当時の日本は中国人蔑視の社会風潮がある中で、藤野先生は魯迅のノートに朱筆を入れて懇切丁寧に直した。また、魯迅が仙台で東京では体験できなかった「優待を受けた」、「学校が授業料を免除してくれた」うえ、「職員は食事や住居の世話までし」たとある。(「藤野先生」より)
初めて会った中国人の私に対して、朴澤さんは親切に案内し、温かく接待してくれたうえで、震災の体験から自分の生き甲斐まで明るく話してくれた。仙台や日本の魅力を挫けず諦めず絶えず発信しつつある朴澤さんや「GOZAIN」によるホスピタリティ、そこから藤野先生や当時の優しい仙台人の心境にも通じるようなものがしっかりと受け継がれ、発展しているように感じた。
3月の仙台は、まだ少し肌寒い風が吹いていたが、「また、仙台に遊びに来て下さい」という朴澤さんからの再三の誘いで、私の心は感謝と感激で春本番のように暖かくなった。このような出会いで生まれた友情を大切にし、多くの人に広がっていけば、中日両国の間には、今後1000年に亘る深い絆が、延々と続くことを確信した。
「北京週報日本語版」2012年4月17日 |