「中庸無為」から「韜光養晦」へ
歴史的・文化的に見て、中国は自分をひけらかすことが得意ではない民族であり、孔子の「中庸」から老子の「無為」に至るまで、すべての思想は事物に対処する際には極端に走ってはいけないと説いている。老子は「道」を思想的な基礎とし、守柔、不争、無知、無欲などを主張した。兵法の大家、孫武も『孫子兵法』で「兵者,詭道也。」(兵は詭道なり)と記している。これは不分明な状態を保つことで敵を打ち負かし勝ちを制するという原則であり、軍隊の行軍作戦だけに限らず、平和な時期の軍隊建設にも貫かれている。こうした哲学思想は代々中国人の思考モデルと価値基準を左右してきた。
弱者にとって、不分明な状態を保つことはしばしば戦略目標の達成手段になる。これは軍隊建設と戦争の特殊性によって決まる。不透明であることで、弱者が強者の侵害を受けるのを防ぐことができ、また弱者が有利な立場に立ち自衛することが可能になる。
中国の軍事透明度を討論する際には、「韜光養晦」(才能を隠して外に現さない)思想を避けて通ることはできない。「韜晦之計」の思想は1000年余り前に編纂された唐代(618-907)の史書『旧唐書』が出典で、自分の才能を隠してあまり目立たない位置につけるという意味だ。1980年代、鄧小平は中国の発展について触れた際、「韜光養晦」という思想の重要性を十分に認めていた。30年来、中国はまさにこの戦略思想に沿って国内・国際事務にあたってきたが、こうした地道で目立たないやり方は中国の伝統的戦略思想の延長線上にあるものであった。これを軍隊建設に当てはめてみると、つまり相対的に不分明な状態を保つということになる。
軍隊建設でも、今日の中国は中国古来の戦略思想を受け継ぎ、伝統的思考モデルと哲学観で透明度の問題を捉えている。中国に西側主要国が主張する軍事透明度を完全に受け入れさせれば、中国の文化伝統が徹底的に変わってしまうに違いない。これは明らかに非現実的であり、不可能である。
「北京週報日本語版」2012年3月21日 |