核透明性は西側主要国がしつこく追及するもう1つの問題だ。西側主要国が注目しているのは、「中国がいくつ核弾頭を持ち、それをどこに配備しているか?」、「核パワーの現代化はどこへ向かうのか?」といった問題で、「核兵器保有国のうち中国だけが核兵器庫を拡大しており、他の国は核兵器削減を行っている。これをどう説明するのか」と指摘したりしている。最低の核抑止力しか持たない中国にとって、数も配備状況も透明にすることは奥の手をライバルに伝えることにほかならず、中国の他国に対する核抑止力を弱めることになる。
西側主要国はある根本的な問題を完全に見落としている。それは中国の核透明性は政策的透明性であり、戦略指導意義を持つ透明性であるということだ。1964年に初めて核実験を行った後、中国は直ちに「最初に使用しない」ことを宣言した。中国が核兵器で相手を先に攻撃しない以上、数と配備場所は重要性を持たない。中国が維持しているのは政策と戦略上の透明性であり、数と配置状況の透明性ではない。
核弾頭の数と配備、現代化計画にひたすらこだわるのは本末転倒だ。核兵器は軍事手段であるだけでなく政治的な武器でもあり、巨大な投資が必要だ。旧ソ連の崩壊は、冷戦期間の米ソという2つの超大国間の核軍備競争と無関係ではない。中国は力を集中させて経済建設を行っている最中で、核兵器庫拡充のためにさらに資金をつぎ込むようなことはしない。
軍事透明度は国際政治上のつなひきの必然的な結果である。強国と弱国の「透明性」を同一線上で同じように見ることはできない。強者にとっては、透明性は国家間の相互信頼を増進するために必要な手段であり、弱者を抑止するツールでもある。「武力外交」や、今日も用いられている軍事配備や軍事演習をすることを明らかにして相手を抑止するなどがそれにあたる。しかし弱者にとっては、少ない軍事資源を強者の前にさらすことは、強者を制約するわずかな手段を相手に知らせることになり、相手を抑止する力を失ってしまう。したがって、強者が弱者に対し過分に軍事透明度を保つよう要求すれば、後者は必然的に警戒心を高めることになる。
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