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「禅茶一味」 露雨軒、茶文化を発揚

 

◆「禅茶文化」が心情

「当時は、ある種の危機感がありました。店を盛り上げる、支店をつくる、それには文化的なテーマが必要で、でなければ生き残れなかったでしょう」。張さんはこう回想する。

「禅茶一味」がモットー

どのような文化がお茶にふさわしいのか、張さんは模索。楽器や将棋、書画などを想像したが、よく考えると、こうした人たちは小数。本当に将棋に打ち込む人はどれだけいるか、まして将棋を打ちながらお茶をたしなむ人は?

折しも、出家したある人が彼に1冊の本を送った。浄空法師がしたためた「認識仏教」だ。簡潔に書かれた仏教の入門書。彼はそれに感銘し、突如として「北京には仏教文化に由来するものをする人はいない」と。

張さんによれば、当時、仏教文化は奥深く、しかも茶文化と同じように歴史が長く、緊密な関係にあった。

古代中国最古の寺や廟は皇室が責任を負っていた。僧侶の生活、寺や廟の修理の費用は国が拠出。だが後に、国は拠出しなくなり、自身で賄わざるを得なくなった。国は土地だけを与えるだけで、僧侶は自ら耕作することに。だが、山上にあり、開墾は非常に難しく、穀物は植えられない。山に頼って活きていうしかない。たとえば、浙江省の普安寺。周辺の山にはお茶しかなく、それで生計を立てるしかない。その当時、茶文化はまだはやってはいなかった。しかし、お茶の産地の僧侶の多くが毎年、穀物に替えるため茶葉を栽培するようになった。僧侶は茶葉の栽培で生活し、普段お酒は飲まない。飲みものがないので、口にするのはお茶。それが徐々に仏礼の習俗となっていった。「禅をする時に、さわやかなお茶をくちにすると、頭がすっきりし、落ち着いた気分になれます」

日本の茶道はよく知られているが、茶葉は仏教と同時に中国から日本に伝えられた。日本の高僧、栄西禅師は1168年と1187年に中国を訪れている。中国の文化や仏経、さらに茶葉の栽培や飲茶の作法などを学んだ。栄西禅師によって中国茶は日本に伝わり、普及していった。

日本の仏教文化は禅宗が主体。しかも茶道は禅宗と不可分であり、まさに「茶禅一味」である。禅とともに茶を、茶とともに禅。千利休が唱え、16世紀に茶道の大成としてまとまり、「和・敬・清・寂」の真義とする茶道が生まれた。

張さんは「仏教文化への憧れから、それをテーマとして、それを茶楼に漂わせることにしました。もちろん、別に理由があります。人びとに仏教を知ってもらいたから」と語る。

2番目の店を開く時に、張さんは寺院風にすることを思いついた。造りを寺や廟のように設計。こうして、牡丹園を開業。経営は順調だ。

「北方の寺や廟には訪れた人が休むところがないので、ここでは仏を拝み、小休憩することができます。でも、仏教文化で暴利を貪ろうとは思っていません。茶楼の純利益率は40~50%とも言われていますが、少なくとも構いません。以前店を出した時は、利益はわずか10%でした」。2号店をオープンして2~3年は、お茶にスイーツ、果物などを含めて、1人58元だ。

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