本誌記者 曾文卉
雪の舞い落ちる冬、銘茶から湯気が立ちのぼり、天竺の音楽のせせらぎが耳もとに、そして、さまざまな仏教彫刻に精緻で質朴な家具……。ここが露雨軒。唐代の文人、陸羽は「茶聖」として仰がれた。「露雨」(ルーイー)という名は、発音が同じ陸羽が由来。仏教文化が色濃く漂っている。「目・耳・鼻・舌・身・意」、この中で「茶」と「禅」の融和を感じることができるだろう。
◆ゼロからスタート
露雨軒は1999年の開業、北京に3店を構えている。オーナーの張賛さんは実におうような人柄。78年生まれ。21歳で北京の和平里に最初の店を開いた。
オーナーの張賛さん
和平里の店は中国の古典的な特色に溢れている。父親は骨董品、とくに明清時代の家具を好んで収蔵していた。「当時、家は父が集めた骨董品でいっぱいでした。後に、収め切れないので倉庫を借りたので、茶楼を開くことにしたのです。倉庫より店に並べたほうがずっと良く、骨董品とお茶は本当にマッチしています」と張さん。
張さんは飲食業に従事していたが、立ち退きを迫られた。その時に得た補償金をどう使うか、彼は頭を悩ませた。やはり飲食業をと考えたが、バーを開いても、何にもならない。後に、蘇州と杭州を旅行。その際、友人がすすめてくれたお茶に、心どよめいたという。「茶楼もいい、友人が数人で集まれるし、雰囲気も落ち着いていて、バーのようなざわめきもありません」。そこで、張さんは全国行脚。参考にするため各地の茶楼を歩き回った。昼は開店の準備、夜はよその茶楼を視察。こうして、どうにか初めての茶楼がオープン。それから6年たった。
「この6年、いろいろ経験しました」と張さん。2001年あたりから、北京では雨後のたけのこの如く茶楼が出現。2年を過ぎたころ、次々に倒産。足のマッサージや碁や将棋などのできる娯楽室に替わったり、結婚相談所、マルチ販売を始めたり……。
「茶楼は落ちぶれて、何の意味もない。環境や店のデザインも旧態依然。1人の経営者として、仮に、同じような環境で毎日ぼんやりしているとすれば、やるせないし、常に来てくれるお客さんも新鮮さを感じることがないでしょう」
当時の茶楼には文化的な雰囲気はなかった、快適で静かな環境を提供するだけで、しかも北京の人はお茶には何のこだわりもない。ジャスミン茶を飲む人が大半だった。「文化的雰囲気がなければ、長く残ることはできないでしょうね」
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