アニメーション産業は中国で最も発展潜在力のある新興産業の1つで、中国政府が重点支援の対象としている文化産業でもあり、現在新たな経済成長ポイントになりつつある。アニメ大国である日本にはすでに整った産業チェーンが出来上がっており、アニメ作品の市場成功率は高く、アニメ産業はすでに日本の第3の産業にまで成長した。日本などの成功経験から学び、自国のかつての輝かしい経験を総括することは、中国アニメ産業の飛躍に現実的な意義がある。
10月30日、北京石景山区中国動漫遊戯城(アニメ・コミック・ゲームシティー)で行われた第12回世界漫画大会ポスター前で記念写真を撮る来場者(李文明 撮影)
中日両国アニメ発展史概略
万籟鳴、万古蟾、万超塵に代表される中国アニメーター第1世代は、1922年に最初の広告アニメ作品『舒振東華文打字機』(舒振東の中国語タイプライター)、1926年に最初の民族的特色を持つアニメ作品『大鬧画室』(アトリエ騒動)を制作した。1942年9月に完成した長編アニメ作品『鉄扇公主』は、当時『白雪姫』に次いで世界で2番目に発表された秀れた長編アニメ作品で、国内外で大きな反響を呼び、中国アニメは第一次黄金期に入った。しかし残念ながら、当時の中国アニメがその後産業という形で発展することはなかった。
兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館(任正来撮影)
日本のアニメーションは中国より若干早くスタートを切った。最初は世界の名著を題材にしていたが、第二次世界大戦後は反戦をテーマにしたものが現れ、その影響は現在に至るまで続いている。1947年、手塚治虫は漫画に映画撮影手法を数多く取り入れて「新漫画」(ストーリー漫画)を切り開き、現代日本アニメ産業モデルを作り上げ、「漫画の神様」、「日本現代漫画の父」と呼ばれた。その700を超える作品のうち最も有名なのは『鉄腕アトム』である。
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