◆経済発展の思考方法を徐々に確立
02年の「7・1改革」により、朝鮮経済では市場経済的な要素が絶えず増大し、一部民間人の経済力も増強され、部分的な富裕と総体的な欠落から差異が形成され、またインフラを共同で推し進めたことで、社会の貧富の格差が顕著になり始めた。このため、09年に貨幣改革を通じて複雑な経済的矛盾を解決しようと試みた。貨幣改革が朝鮮経済に深刻なダメージをもたらしたのは明らかだが、同時に指導層は経済規律の研究をより重視するようになり、経済発展への思考方法も成熟化の方向にある。
現在、朝鮮の経済発展思考は主に以下の面に具体的に見られる。
先ず、対外開放度を拡大したことだ。冷戦終結後、朝鮮は一貫して絶えず経済特区の開放を試みることで、国際経済との交流を拡大してきた。代表的なのが羅先経済特区と開城工業パーク。10年1月、羅先市を特別市とし、経済特区の発展の推進に期待を示した。同年2月、中国との国境を流れる鴨緑江に位置する2カ所の面積最大の島、黄金坪島と威化島を中国企業に委託して開発。その後、金坪島と威化島の50平方キロの区域を自由貿易区に指定し、外国人を含むビザ無しの自由な出入りを許可した。3月、平壤など8大都市を新経済特区とし、外資に開放して優遇税制政策を実施している。
次に、対外経済の発展に対応する体制の整備を強化したことだ。10年に大豊国際投資グループと国家開発銀行を設立。投資グループは対外経済協力機構として、開発銀行のために投資を誘致し、財源を保障する。一方、開発銀行は国の経済発展に向けた重要プロジェクトへの投資を担う。このため、開発銀行は国際金融機関や国際商業銀行と取引ができる現代的な金融ルールとシステムを構築する必要がある。
第3は、経済発展を推進するための制度の整備を強化したことだ。10年下半期から、経済を主管する機構の調整を実施。「合弁投資指導局」を「合弁投資委員会」に拡大・再編し、外資を指導・管理する中央指導機構とした。「国家資源開発指導局」を「国家資源開発省」に格上げしたほか、全国の経済建設を統一的に計画・指導するため、「経済開発総局」を別に設立した。
今年初め、朝鮮は「国家経済開発10年戦略計画」を策定し、インフラ整備やエネルギーなど12の重点分野の発展目標を打ち出したことで、12年に「強盛大国の扉を開く」枠組みが確定するとともに、「20年に先進国レベルに達する展望を示した」。
それでも、自らの目標の実現は任重くして道遠しである。だが、朝鮮経済が面目をかなり一新すると期待を寄せてもいいのではないか。
「北京週報日本語版」2011年6月20日 |