このほか、北川新県城の設計では、耐震と災害防止に特に配慮した。すべての建築物に耐震強度Ⅶ級を採用し、緊急、臨時、固定の避難場所と避難ルート、学校公園緑地、スタジアム・体育館、記念館、都市広場など公共施設を結びつけた。また安昌河には30年に1度、2本の支流には10年に1度という洪水防止基準を設けた。
北川新県城爾瑪小区の街並み (石剛撮影)
2010年9月25日、山東省が支援して建設された北川新県城が北川県政府に引き渡された。2011年1月23日、北川新県城が正式に始動し、地震後3度目の旧正月を前にして、1万人余りの被災者が新県城に移った。
「支援作業で一番身にしみたのは、工事品質は泰山より重いということでした」。杜さんは感慨をこめて言う。「わたしたちが建てた建築物は大地震でも倒れず、小さな地震では壊れない」。
現在、北川新県城は居住、医療、教育、商業、観光、レジャーなどの基本機能を備え、生産や生活を支える基本能力が備わった。住民が入居してくるにしたがって、占有面積7600平方メートルの「チャン族風情街」と呼ばれる歩行者天国「巴拿恰」(チャン族の言葉で「商売をするところ」の意味)のテナント募集も重要段階に入った。「巴拿恰」は北川新県城の中軸線にもなっている。
このほか、北川県政府は郷鎮(村と町)、街道(都市部の最小行政単位)、社区(コミュニティ)、救助ステーション、住民の移住先、雇用先企業に積極的にかかわり、政策や就職先、訓練、情報、補助、保障を提供し、労働組合、中国共産主義青年団、婦女連合会、身体障害者連合会、人力資源・社会保障などの部門(組織)の資源を統合し、職業教育と失業農民工(農村部から都市への出稼ぎ就労者)への訓練とをしっかりと結びつけ、多くの措置を講じて新入居住民の再就職問題を解決する。
新居に帰った程さんは、学校から帰ってきた多吉君が絵を書いているのを見てふたたびやさしそうな笑みを浮かべた。
地震1周年の際、程さんは記者に、最大の願いは新県城に引っ越して息子を育てることだ、と語った。今、新居に移るという願いは実現し、息子もすこやかに成長している。
「これまでの隣人の多くとここでまた一緒になれました!仕事はあるけれども仮設住宅住まいと、仕事はないが新居に住めるのとどちらかを選ぶなら、むしろ後者を選びます」。黄さんの答えはまじめできっぱりとしていた。「北川新県城はまだ建設中です。こんなにいい家に住めて、本当に政府に感謝しています!これからもますます良くなっていくと信じています!」
「北京週報日本語版」2011年5月3日 |