明日に希望を
崩れた山、傾いた建物、断裂した道路……かつての北川旧県城は「5•12」汶川特大地震と「9•24」暴雨・土石流などの自然災害や二次災害に襲われ、すっかり見る影もなく変わり果ててしまった。そこは程さんが最もよく知っている場所であると同時に、最も悲しみを呼び起こす場所となった。程さんは地震後100日目、そして毎年の旧正月、清明節、地震発生日に、長女を供養しに旧県城に帰ってくる。
新居でくつろぐ程丕義さん、黄桂瓊さんと息子の黄程多吉君 (石剛撮影)
2010年5月14日、北川擂鼓鎮レセプションセンターが正式にオープンした。旧県城は周辺の土砂災害防止処理、道路の修復、標識の取付が済み、地震跡地となり、翌日には一般に公開された。参観者は1日1000人限定で、レセプションセンターで参観用の車に乗りいっせいに地震跡地に向かう。
北川地震記念館と地震跡地保護プロジェクトの建設資金は6億7700万元で、上海同済大学が作成したプランをもとに、北川地震跡地保護・地震記念館建設プロジェクトを計画し、同時に関連設計事業者に委託して地震跡地保護中心エリア内外の道路交通、水利施設、土砂災害防止などのプロジェクト計画を展開した。地震跡地博物館は「5•12」地震3周年当日の全面開放を目指している。
「あと100メートル行くと元の家です。でも帰りたくはありません」。程さんが物憂げに言った。
車で北川新県城に戻る途中、程さんは口数少なく、静かに窓の外を見つめていた。西北から東南に向かって蛇行して流れる安昌河は北川の新県城を2つに分けている。左側は今後の長期計画エリア、右側がすでに完成した居住生活区、商業サービス区、学校文教区、公共サービス区、計画中の工業パーク区だ。さらに川の両側には四季を通じて緑の生い茂るグリーン回廊の設置が計画され、四方を山に囲まれた新県城の空気をきれいにする役割を果たす。
2009年5月12日、北川中学校が正式に着工し、北川新県城で最初に着工したプロジェクトとなった。杜洪嶺さんは山東省の駐北川作業連絡処の責任者で、仮設住宅建設、工事品質の監督からその後のメンテナンスに至る対口支援(比較的経済の発達した省や直轄市が経済発展の遅れた地域の発展を一対一で支援する仕組み。パートナー支援)の全過程に携わり、新たな場所にゼロから建設した北川新県城の再生を見つめてきた。
杜さんによると、山東省は町中心部住宅建設、公共サービス、インフラ、生態緑化、文化観光、産業パーク区など6分野にわたる82のプロジェクトを支援し、総投資は44億元となった。支援の過程で、環境の整備を重視し、重要河川の整備・管理と洪水防止を強化し、生態保護を強化し、新素材や新エネルギー、新技術の利用を積極的に推し進めた。新県城の緑化面積は134万平方メートル、1人当たり平均緑地は44平方メートル、緑化カバー率は46%に達した。いくつもの支援プロジェクトが四川省最高工事品質奨「天府杯」を受賞した。
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