本誌記者 繆暁陽
彼は砂漠の周辺にある農家に生まれ、幼少期に耕地や牧草地が砂漠に浸食されていくさまを目の当たりにした。30歳の時、彼は管理職に就くことを放棄し、苦労を伴う創業の道を選び、鳥さえも飛び越えるのが難しい砂漠に「砂漠の奇跡」と呼ばれる砂漠道路を建設した。
本誌記者の独占インタビューを受ける全国商工業連合会の副主席、億利資源集団理事局の主席、中国共産党員の王文彪氏(繆暁陽撮影)
彼は生きていくために砂漠から離れ、発展するために再び砂漠に戻ってきた。この20数年来、彼の企業は総資産百億元を越えるエコロジー・エネルギーグループとなり、砂漠におけるニューエコノミー分野発展の夢を実現するとともに、一貫して砂漠の生態環境建設に力を尽くし、中国北部に全長240キロ余りの「緑の長城」を建設した。
彼とは、全国商工業連合会の副主席、億利資源集団理事局の主席、中国共産党員の王文彪氏、その人である。
3月14日、億利資源集団など影響力のある中国民営企業7社が、北京で「グリーン・クリーンエネルギー共同出資企業」の創立を発表した。近ごろ、本誌記者は砂漠化防止・緑化の経験や「砂漠におけるニューエコノミー」と「クリーンエネルギー循環型経済」の発展について、王文彪氏に独占インタビューを行った。
砂漠に挑戦する創業への道
1959年、王文彪氏は内蒙古自治区のホブチ(庫布斉)砂漠周辺の小さな村で生まれた。農民の息子から現在の全国商工業連合会の副主席、億利資源集団理事局の主席・総裁を務めるという軌跡の中で、1988年は外すことのできない年だ。当時、オルドス(鄂爾多斯)市ハンギン(杭錦)旗政府の秘書をしていた29歳の王氏は管理職への道を捨て、身一つで地元の人から「塩湖」と呼ばれるハラマンナイ(哈拉芒奈)湖に赴き、ハンギン旗製塩工場の工場長になった年だからである。
地元の人の話によると、当時の製塩工場はすでに倒産寸前であった。「最初の仕事環境はきわめて悪く、道路も電力も通信もなく、その上、水も技術力も資金もなかった」。王氏は当時をこう振り返った。
しかし、そんな王氏に希望を見出させたのは塩湖そのものであった。面積18平方キロの塩湖には、塩だけでなく、豊富な硫酸ナトリウム、天然アルカリなど、化学工業の原料となる資源が含まれており、埋蔵量は計1億8000万トンであったという。これらの資源は開発が急がれており、王氏はこの湖を活用して大々的に事業を展開してみることにした。1990年、彼はある科学研究部門と協力して塩湖を探査し、無水硫酸ナトリウムの生産を始めた。1995年、製塩工場と3つの小さな化学工業製品工場をベースに億利化学工業建築材料集団(2000年に億利資源集団と改名 )を創立し、M&Aや再編を通じて規模を拡大し、企業の集団化を進めた。
「1997年以前、私たちは主に化学工業産業に従事していたが、鉱物の資源と加工基地がすべてクブチ砂漠の周辺にあったため、企業の規模拡大に伴い2つの難題に直面するようになった。1つは風と砂塵による浸食の防止や鉱物資源保護の問題、もう1つは交通運輸の問題だった。1997年に、我が社の生産量はすでに50万トンに達し、大部分の製品が天津の港を通じて海外に向けて販売されていたが、クブチ砂漠が障害となり、製品の輸送の際には330キロも迂回しなければならなかった。そうしなければ中継ポイントに到着することができず、毎年1500~2000万元という運送コストがかかっていた。この障害を取り除き、生産した化学工業製品をより便利に輸送するという難題をクリアするためには、砂漠を貫く道路を建設する必要があった」と王氏は語った。
そこで、王氏は従業員全員を率いて、総面積1万8600平方キロのクブチ砂漠で、防砂・砂漠改造のプロジェクトを始動させた。1997年から1999年の2年間で、億利資源集団は7000万元余りを借り入れ、現地政府と協力して65キロの砂漠道路を建設した。この道路の建設によって、同集団は毎年2000万元弱の運送費を節約できた。しかしそれだけではない。更に重要なのは現地に住む1万人余りの農民や牧畜民の交通や運輸に関する問題を解決し、地方経済の発展を促進したことであった。それ以降、この砂漠道路は多くの人々から「砂漠を貫き、人・物・情報が流動する中国初の大街道」と言われるようになった。
「砂漠道路の建設は私が今までの人生の中で最も感動したことだ。私の両親は農民なので、私は砂漠で暮らす人たちが風と砂塵と戦う生活の苦しみをよく知っている。この道路は普通の道ではなく、生命の道だ」と王氏は語る。
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