南京大学日本語学部専家・斎藤文男
未曾有の災難となった東日本大震災で、夫や妹が亡くなった仲間の悲しみを乗り越えて紫金草合唱団が3月26日、南京市の南京理工大で「訪中10周年記念」のコンサートを開いた。合唱団員の中には、津波に襲われて車で逃げてやっと助かった人や、被災地の東北地方から交通機関を探しながら何日もかけてやっと成田空港に到着した人などがいた。「今回は公演を中止しよう」との声もあったが、「こんな時だからこそ、平和の花と歌で励まし合おう」と64人が南京を訪れ、全員で見事なハーモニーを響かせた。翌日には地元の合唱団や南京大学の学生との交流会を開き、震災の話や平和について話し合い相互理解を深めた。
オーケストラの伴奏で歌う紫金草合唱団
◇戦争への鎮魂花・紫金草◇
紫金草の花は南京市内の城壁の傍らや、野原、土手などいたるところで、今が満開となっている。日本では諸葛菜、ムラサキハナダイコンなどの名称でも知られている。中国では二月蘭と呼ばれているアブラナ科の野生の花で、南京大虐殺事件とかかわりがある花だ。
南京大虐殺事件のあった直後の1939年、旧日本陸軍衛生材料廠の山口誠太郎廠長が視察で南京市を訪れた。山口氏は旧東京帝国大学(現東京大学)学生時代に中国人留学生とともに南京を訪れたことがあった。再び訪問した南京は廃墟同然になっていた。荒れ果てた街の中で健気に咲いていた小さな紫色の花を見つけ、悲惨な戦争への反省の「鎮魂花」にしようと、種子をそっと日本に持ち帰った。
紫金山の麓に咲いていたことから、「紫金草」と名付け、平和の花として日本全国に広めた。平和の花を広める運動は子息の裕さん(86歳)=茨城県石岡市在住=に引き継がれ、紫金草の名称も日本全国に広まった。
合唱団はこの物語を知った人たちによって結成され、2001年から中国公演を開催している。今年は訪中公演10周年記念として、当初は88人が参加する予定だった。しかし、訪中直前の3月11日、東日本大震災が発生した。地震、火事、津波に加え、原子力発電所爆発事故も加わり、死者・行方不明者は2万人を超える大惨事になった。
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