田子坊の店のオーナーには、外国人も中国人もいる。中国人の中には上海の人もいればほかの都市から来た人もいる。客層も外国人と中国人が入り混じる。様々な国籍を持つオーナーが開いた店に、様々な国籍の人々が集う。今渕さんの言葉を借りれば、「地球規模の構成」だ。歴史やノスタルジーを感じさせるいかにも上海らしいエリアに、国際的でコスモポリタンなカルチャーが同居する。田子坊は、上海という都市に出現した小さな多国籍コミュニティーなのだ。
田子坊という多国籍で自由な雰囲気あふれるフィールドに、多言語が話せて海外生活も豊富な今渕さんはしっくり溶け込んでいるように見える。今渕さんにずっと上海でやっていくのかと尋ねてみると、「(せっかく窮屈な日本を飛び出して)外国にいるのだから、『畑違い』じゃないことをしなくちゃなあと思う。『畑違い』じゃないことを続けられるのであれば、長くいる可能性が高い」という答えが返ってきた。テキスタイルスタイリストである今渕さんにとって、飲食業は「畑違い」の仕事だ。
友人の言葉に誘われるまま、特に後ろ盾もなく一人で田子坊に飛び込んで3年。「畑違い」の飲食業を皮切りに、来る話は拒まずにやってきた。最近、今渕さんは「畑違いじゃないこと」、つまり本業であるテキスタイルデザインへと仕事をシフトし始めた。6月には自身でデザインしたバッグを販売する店を出す。「窮屈な日本を一人で飛び出して外国にいるのだから、自分が本当にやりたいと思っていることをやらないと意味がない」。バッグの店はその第一歩だ。東京からナポリ、そして上海・田子坊へ。「じゃあ、来ちゃおっかな」と軽やかにやって来た今渕さんは、そんな彼女を自然に受けいれてくれた田子坊で、さらなるステップへの飛躍に向けて、軽やかに自分の人生をデザインし続けている。
「北京週報日本語版」2010年6月29日
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