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発展をとげた中国のバレエ

 

世界の著名なバレエ団となる

バレエ劇『赤色女性中隊』の成功は1つの優れた作品の誕生を意味するばかりでなく、同時に中国のバレエの発展の方向をも明示するものとなり、これは中国のバレエ芸術家達にとってよりいっそう重要なことであった。『赤色女性中隊』がバレエ舞台で再現された後、中国のバレエ芸術家たちは、世界バレエの伝統を堅持すると同時に、中国文化の元素を源として新機軸を打ち出し、それを発展させることをさらに必要とすることをいっそうはっきりと意識することになった。「それ以降、われわれ中国人のみずからのバレエ劇を創作することはずっと、中央バレエ団にとって神聖な使命と見なされるに至った」と趙女史は語っている。

バレエ劇『赤色女性中隊』を創作した経験を踏まえて、中央バレエ団はまた一連の濃厚な中国の特色をもつ優れたバレエ作品を創作し、そして相変わらずこのようなものの創作に励み、例えば『高く掲げられた大きな赤ちょうちん』(2001年)と『牡丹亭』(2008年)という二つの著名なバレエ劇がそれである。これらの作品によって中央バレエ団と中国のバレエは世界で名声と尊重を勝ち取った。

これと同時に、中央バレエ団も世界のその他の国との交流を絶えず強化してきた。中央バレエ団の初めての海外の公演は1961年に文化大使としてミャンマーに赴いてバレエ劇『白鳥の湖』を公演したことであった。前世紀80年代から、中央バレエ団はアメリカとイギリスを含む世界各地に赴いて興行公演を行い始め、大好評を博した。2008年と2009年、中央バレエ団はそれぞれ中国のバレエ関係者の「夢の中の舞台」――イギリスのロイヤル・バレエ劇場とフランスのパリ・バレエ劇場で公演を行った。これらの公演は、中国の中央バレエ団がすでに世界の最も重要なバレエ団体の1つとなったことをいま一度裏付けるものとなった。

これらの目を見張らせる成果はバレリーナたちの骨身を惜しまぬレッスンとバレエ団のリーダーたちの開放的な管理の理念に帰すべきである。1972年、趙汝蘅女史は足のひどいケガで、舞台を離れることを余儀なくされが、心から愛しているバレエの事業をあきらめたことは一度もなかった。1993年、彼女は中央バレエ団団長に任命され、それから新しい人生の段階に歩み入り、同時にバレエ団の新しい1章をも切り開いた。「私はもうバレエを踊ることができなくなったとはいえ、私は自分がその他のバレリーナたちを助けてさらに上手に踊らせることができることを望んでいる」と趙女史は語っている。

演技レベルを高めるため、バレエ団は多くの改革施策を実行した。その中の一部の改革は苦痛に満ちた選択であった。当時、団長としての趙女史が実施した初めての改革は、努力して出演チームワークの若年化を目指すことであった。前世紀90年代の初期、中央バレエ団のバレリーナの平均年齢は39歳であったため、かつて一部のメディアに「世界で最も年をとったバレエの団」と称されていた。それはバレエ団のさらなる発展を大いに制約するものとなった。

改革の後、今のバレエ団のバレリーナの平均年齢は20歳ぐらいとなっている。同時に、バレエ団はまた35歳を上回ったバレリーナを助けて彼女たちの事業の新しい舞台を探すことに努めた。このほか、バレエ団は市場経済のルールに合致した給料分配制度を採用するようになった。

専門技術のレッスンを厳格にすることもトップクラスのバレリーナを育成する必要な条件である。若いバレリーナはバレエ団に入団して2、3年以内にいずれも著しい進歩をとげることができ、彼女の中の多くの人たちは重要な国際コンクールで金・銀メダルあるいは銅メダルを獲得している。このため、バレエ団はバレエのスターを育成する揺りかごとも見なされている。

このほか、中央バレエ団はまた持続的に、ハイレベルの、さまざまな外国のバレエ劇を導入して、バレリーナたちをさらに鍛えている。「私達はバレエ団のそれぞれのバレリーナの潜在能力を掘り起こし、彼女たちがどのような高さに到達できるかを試すことに努めている。」「この結果、私達は外国人バレリーナがやり遂げることができることはわれわれ中国のバレリーナもすべてやり遂げることができることに気づいた」と趙女史は語っている。

「時には、私達は国外のバレエ団あるいはその振り付けと交渉し、彼らの作品を導入しようとしても、相手は往々にして私達の実力に対し懐疑の意を示し、『中国のバレリーナではできないだろう』と考えた。しかし、私達が彼らを中国に招いて私達の公演を観賞してもらったところ、彼らは往々にして心が深く動かされることになった」と趙女史は語っている。

ドイツのハンブルグ・バレエ団の芸術総監督のジョン・ノイマイヤー氏は近日その名作『椿姫』を携えて北京に来た。氏はとりもなおさず中国のバレエが急速な発展をとげていることをその目で見た人の1人である。

趙女史によると、1999年の時、ノイマイヤー氏とドイツ・バレエ団はかつて北京に来て公演したことがあり、しかし、その訪中公演はノイマイヤー氏にとっては別に楽しいものではなかった。当時、劇場の音声効果も理想的ではなく、中国の観客も出演を観賞する際にあまり注意力を集中しなかったからであった。

しかし、今回、氏は中国の観客たちの変化を強く感じ取った。ノイマイヤー氏は趙女史に、私は中国の観客たちが「心で」私たちの舞踊を感じ取ってくれていることを感じることができ、私は非常に感動したと語った。

外国人芸術家および劇団との交流の中で、中央バレエ団の全般的な演技のレベルが速やかに向上すると同時に、中国のバレエを世界に向かわせることになったと、趙女史は語っている。

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