中国とヨーロッパ諸国との関係が緩和されていくのに伴って、1973年、中国は西側諸国の中で最初に中国と国交を樹立したフランスに「燕燕」(イエンイエン)と「黎黎」(リーリー)という1つがいのパンダを贈った。1年後、中国はイギリスに「佳佳」(ジィアジィア)と「晶晶」(ジンジン)、1975年、メキシコに「迎迎」(インイン)と「貝貝」(ベイイベイ)という1つがいのパンダを贈った。3年後に、スペインに「紹紹」(シャオシャオ)、「強強」(チャンチャン)という1つがいのパンダを贈呈した。
1980年、当時の華国鋒国家主席は西ドイツに「天天」(ティエンティエン)と「宝宝」(バオバオ)という1つがいのパンダを贈り、連邦ドイツに到着した時に、パンダは赤絨毯を敷いて迎えられるという待遇を受けた。
この期間に、アメリカ大陸は米国の東西両岸から中米のメキシコ、ヨーロッパ大陸の旧ソ連、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、そしてアジア大陸の日本と朝鮮に至るまで、世界の三つの大陸にパンダの足跡が記された。
まだまだ終わらない「パンダの旅」
中国の「パンダの旅」の足取りはますます遠くにまで及び、今回、オセアニアにまで達した。中国四川省臥竜パンダ保護研究センターのパンダ2頭が11月27日、オーストラリアに向けて出発した。中国政府がオーストラリアに長期貸与する「網網(ワンワン)」と「福[女尼](フーニー)」というパンダは10年間を現地で過ごす予定で、中国のパンダが南半球に渡るのもこれが初めてだ。
1994年、成都パンダ繁殖研究基地のパンダ2頭は初めて「科学研究交流大使」の身分で日本の白浜アドベンチャーワールドへ渡った。その後、日本の和歌山、韓国のソウル、米国のアトランタ、ワシントン、メンフィスなど多くの動物園が中国と長期間の共同研究を始めることになった。
現在、中国は5カ国の9つの動物園とパンダ繁殖、生理などをめぐる共同研究を実施しており、研究対象のパンダは30頭いる。1975年の「ワシントン条約」(CITES)に基づいて、外国の動物園は貸与の方式、科学研究交換の名義でしかパンダを手に入れることができなくなった。
これまで24頭のパンダが海外へ渡ったが、現在まだ生きている子孫は5頭しかなく、そのうち日本は1頭、メキシコは3頭、ドイツは1頭を所有しているが、すでに外国国籍となり、所有権は所在国に属す。これらのパンダは、後に貸与されたり共同研究の名目で海外へ渡ったパンダとともに、今なお中国人民の友情を伝えている。
「パンダ外交」の歩んだ半世紀を顧みて、中国パンダ保護研究センターの李徳生副局長は 「平和の使者パンダは、中国と外国の国民間の友情の目撃者だ。『パンダ大使』が今後もこの友情の過程を書き続けていくと信じる」と語った。(ソース:『 国際先駆導報』)
「北京週報日本語版」2009年12月28日
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