本誌記者 繆暁陽
「大平正芳記念論文賞」の受賞者と専門家との記念写真(撮影 繆暁陽)
「大平正芳と中日関係」シンポジウムに参加した専門家の記念写真(撮影 繆暁陽)
30年前、日本の故大平正芳元首相が中国を訪問し、両国は中日平和友好条約に調印し、両国関係の長期的かつ安定的な発展のために、確固とした基礎を打ち立てた。来年(2010年)は大平正芳生誕100周年にあたり、大平正芳氏の中日関係の発展に対する貢献を記念し、彼の政治理念とヒューマニズム思想を追想し、中日関係の未来を展望するために、北京日本学研究センターと日本の大平正芳記念財団が共催した「大平正芳生誕100周年記念国際学術シンポジウム及び優秀論文表彰式」が10月24日、北京日本学研究センターで開催された。
大平正芳氏(1910~1980)は戦後の有名な政治家であり、第68、69代内閣総理大臣だ。彼は香川県の農民家庭の出身であり、誠実で実直、どこまでも耐え抜く、読書が好きで博学な人物であった。中日関係の発展史において、大平正芳氏は大きな貢献をした。1972年、大平氏は日本の外務大臣として田中元首相と一緒に中国を訪問し、中日両国は共に「共同声明」を発表、国交回復を宣言し、中日国交正常化を実現した。1974年、大平氏は自民党内の重なる障害を克服し、再び中国を訪ね、中国と「中日貿易協定」を締結し、これに引き続いて、同年4月に「中日航空協定」を締結した。1978年、大平氏は自民党総裁に選ばれ、日本の首相に就任し、同年、中日両国は「中日平和友好条約」を締結し、両国関係の長期的で健全かつ安定した発展のために、確固とした基礎を打ち立てた。1979年、大平元首相は訪中した際に、中国に対するODA(政府開発援助)の提供、技術及び人材育成協力の提供を決定した。その時はちょうど中国が改革開放を行い、強経済建設に力を注ぐ時期に当たり、これらの援助は中国の現代化建設において軽視できない重要な役割を果たし、中国の経済成長に大きな貢献をした。
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