松谷氏は三十年一日の如く中日文化交流のために大きく貢献し、各界の人々の賞賛と大好評を博した。1995年6月、氏は中国文化部と北京市政府の招きに応じて、北京で開催された徐悲鴻誕生100周年記念活動に出席。3日にわたる活動期間に初めて人民大会堂で記念大会に出席し、初めて中国の国家指導者と一緒に記念写真を撮り、初めて国際学術シンポジウムに出席して真っ先に発言し、初めてCCTVの取材を受けたことは松谷氏にとって一生忘れがたい経験となった。1996年8月、徐悲鴻の未亡人、廖静文氏が催した松谷氏訪中歓迎宴会の席上で中国美術家協会常務副会長の王珂氏は喜んで松谷氏のために “架橋人”の三文字を揮毫した。1998年8月、「光明日報」が、氏が出版した最初の専門書のために「中日文化交流の新しいページ」と題する書評を発表。2005年5月、中国国際テレビ総公司の8回シリーズのTVドキュメンタリー『徐悲鴻』制作チームが松谷氏にインタビュー。8月にこのTVドキュメンタリーは国際チャンネルで世界に放映された。第1回と第8回では、松谷氏がその研究成果や徐悲鴻の滞日成果をめぐって3分間話した。このほか、『美術』誌、『東北師範大学学報』、『吉林芸術学院学報』、『成都晩報』、『中国関係論説資料集』、『神戸学院女子短期大学紀要』、『神戸新聞』などの新聞・雑誌がいずれも氏の論文、書評、人物紹介を掲載。2003年、松谷氏は徐悲鴻記念館から「栄誉証明書」を授与された。1999年から、松谷氏は中国人民大学徐悲鴻芸術学院名誉顧問、南京徐悲鴻芸術研究センター顧問、南京徐悲鴻画院顧問、日本徐悲鴻研究会会長、神戸市成人教育後援センターの講師などを兼任してきた。
「年は取っても意気は盛ん」。松谷氏はすでに70歳を過ぎたとはいえ、依然として中日の文化交流の花園で精力的に筆を休めることなく活躍している。氏が書き上げた4作目の専門書『画家徐悲鴻』が今年出版されることも最近嬉しく伝え聞いた。松谷氏は「まだ頭がぼうっとして目がかすんでいないうちに、時間を切り詰めて後代の人々に多くの文章を書き、若者に中国をよく理解させたい」とよく話す。氏は「 芸術の出発点は人間を愛する心である。この意義から言えば、すぐれた芸術成果は中国に属するだけでなく、日本と全世界にも属する。私は日中両国の世代にわたる友好のために永遠に人間を愛する心で身を捧げ、感動的な芸術を伝えていきたい」と情熱を胸いっぱいに込めて語った。(本誌読者からの投稿原稿)
「 北京週報日本語版」2009年3月20日 |