松谷氏はいつも“石の上にも三年”ということわざで自らを励ました。そして、たゆまず徐悲鴻を研究してきた松谷氏はついに大きな成果を収めることになった。1992年から1995年にかけて、氏は徐悲鴻の作品と一生を概括する『徐悲鴻年譜』、『1917年日本滞在の徐悲鴻』、『徐悲鴻の心中のパリ』、『徐悲鴻スケッチ』を発表した。1995年6月、松谷氏は北京で開催された徐悲鴻誕生100周年記念国際学術シンポジウムの席上、「日本に遊学した徐悲鴻の成果」をテーマとする講演を行った。この講演は、それまで記録のなかった徐悲鴻の日本滞在時期の空白を埋めたため、学界で大好評を博した。1995年、氏は徐悲鴻誕生100周年記念文集『美の呼び声』に「日本国内の徐悲鴻研究」を発表。1996年8月、吉林省人民政府の招きに応じて長春に赴き、吉林芸術学院で日本国内の徐悲鴻研究、徐悲鴻の滞日期間中の成果、明治維新以降の日本美術界の変革などについて講演。1998年4月、約20年にわたって研究に没頭してきた集大成、『徐悲鴻の肖像』が日本近代文芸社から出版、発行。この本は日本人学者が出版する最初の徐悲鴻専門書であった。1999年、「徐悲鴻の尾崎清次宛ての手紙について」を発表、氏が神戸で見つけた徐悲鴻が日本版画家の尾崎清次に宛てた手紙に関わる歴史的背景を述べた。この論文は2004年に出版された新世紀第1回徐悲鴻学術シンポジウム論文集、『世紀の不滅の名作』の中に収録された。2002年、2作目の専門書、『徐悲鴻の芸術』が日本近代文芸社から出版、発行。2003年、3作目の専門書、『徐悲鴻』が丸善プラネット出版社から出版、発行。
松谷氏は日本の国民に徐悲鴻という大家の不朽の業績を紹介するため、書を著しただけでなく、中日両国の文化機関のために義援金、書籍を何度も贈ったことがある。2001年以降は神戸市生涯学習支援センターで徐悲鴻生涯講演会や絵画芸術作品展を8回催した。氏の大々的なPRの下、2004年、日本中学(高校)美術科目の補助教材として徐悲鴻油絵の名作、『横田五百士』が使用された。これは中国現代美術作品が初めて日本の中等教育の教科書の中で頭角をあらわしたことになる。このほか、氏はまた日本の学術刊行物に中国福祉事業などに関する研究論文を10数篇発表した。
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