唐 元愷
相手の身体が完全に畳につく前に、谷本歩実はすでに自らの勝利を確信し、その顔に思わず笑顔がこぼれた。
続いて耳にした審判員の「一本」という声に、谷本は興奮して畳の上を跳ね上がり始めた。2度、3度、4度……彼女は心置きなく喜びの涙を流した。
女子柔道の競技時間は4分間。北京五輪63kg級のメダル争いの中で、身長158センチ、27歳のアテネ五輪金メダリスト・谷本歩実がわずか1分26秒で、05年の世界選手権の覇者であるフランスのリュシ・ドコスを軽々と倒し、金メダルを守るとともに、日本の柔道史上、五輪連覇を果たした5人目の選手となった。
予選から決勝まで、谷本はすべて「一本勝ち」を果たした。「優勝できたのは恩師のおかげ」と彼女は言う。この恩師は、かつて彼女に柔道の真髄、本質、魅力は“一本”にあると語り、先手を取ることがカギだと教えた。「技術だけに頼らず、自分に合った柔道の道を見つけ出すことを恩師から教えられた」と谷本は語る。
ここ数年、柔道の国際大会におけるルールが変わり、日本の伝統的な技である「一本」は、新しいルールのもとでは、もはや有利な技ではなくなった。しかし、谷本はアテネ五輪でも北京五輪でも「一本」にこだわった。「この道は自分だけでなく、次の世代にも伝えていきたい」と彼女は言う。
「私を応援し励ましてくれた多くの人々に感謝している」と語る谷本はアテネ五輪以降、北京五輪をあきらめようと何度も考えた。しかし、そのたびに周囲の人々から「あきらめるな」と励まされた。その中には24歳の妹、谷本育実もいた。姉を尊敬する彼女は自らも柔道を始め、その後、同じく63kg級のチームの一員となる。
谷本育実は他人に誇れるような成績を残しているわけではないが、姉にとって最良の練習相手だ。彼女はずっと姉の練習を見守り、遠慮なく問題点を指摘したり、アドバイスしたり、さらに海外合宿の際には外国のライバル選手の持ち味や弱点を細かく姉に教えたりしてきた。
だが、北京へ来る前に谷本は、たとえ姉妹の深い絆でも乗り越えられぬ、柔道人生を断たれるほどの壁に直面した。昨年11月、練習の際に腰を負傷し、練習どころか、歩くのも困難な状態に陥ったのだ。1週間に5回は病院で治療、しかも毎回3時間という苦痛の治療に耐えたが、「北京五輪への参加の是非は、完全快復後の状態で判断する」と医師から告げられた。
自宅で鬱々としていた日々、谷本は五輪金メダルへと自分を導いてくれた日本チームの古賀稔彦前コーチを思い起こした。
父と兄の勧めで柔道を始めた谷本は、92年のバルセロナ五輪の男子71kg級で優勝した古賀稔彦の姿をテレビで見て感動し、柔道を続ける決意をする。好運なことに、古賀氏はのちに谷本のコーチとなり、アテネ五輪を率いることになる。05年、この名コーチは、道場を去るとき「これからは一人でもやる。もう一花咲かせよう」と書いた色紙を谷本に贈り、さらに彼女の前で「磨け」と大きく書いた。
今年2月、谷本はついに練習場に戻ってきた。だが、負傷した腰をかばうため、それまで得意としてきた腰技を多用せず、ほかの練習に変えた。
谷本歩実は北京で、圧倒的な強さで再び五輪金メダルを手にした。これは、彼女がケガの痛みに耐え、「自分の柔道」という理想によって手に入れたものと言える。
「北京週報日本語版」 2008年8月 |