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つらい旅--本誌記者の被災地現場からの報告(1)

 

 

本誌記者  景小磊

08年5月12日は中国にとって暗い1日となった。この日の午後2時過ぎ、四川省地区でマグニチュード7.8という大地震が発生した。その地震の強さ、範囲の広さ、被害の深刻さは中国全土および世界を震撼させた。

5月13日午後、中国外文局が組織した報道グループは早速被災地へ向かう準備に入った。これより前に中国の指導者らは今回の地震に対する極めて高い重視の姿勢を表明していた。胡錦濤国家主席は迅速に負傷者を救出し、被災地区の人々の生命の安全を保障するよう重要な指示を下した。温家宝総理は地震発生の数時間後には四川省で最も被害のひどかった地区の1つである都江堰市に姿を現し、自ら現場で陣頭指揮をとった。

6名の記者からなる取材班は限られた時間の中で支度を整え、午後には首都空港から成都へと向かった。

紆余曲折

成都へ向かう航空便は成都空港側の原因によってすでに1時間半近く遅延しており、午後5時半ごろになって搭乗できた。機内の乗客の多くは成都に戻る四川人だが、現場へ取材に入る記者たちも一部混じっていた。

しかし、その後4時間たっても飛行機は離陸しない。客室乗務員の説明によると、成都空港側が手一杯で各地からの到着機の調整に時間が必要とのことであった。

新華社の13日夜の報道は、13日午前8時から総参謀部が22機の軍用輸送機を出動させていること、民用旅客機12機を調達したこと、悪天候のもとで延べ79機が飛行していることを伝えた。この報道はさらに、総参謀部が中国国際航空や山東航空、西部航空など12機の民用旅客機を初めて無償で徴用し、空軍の輸送力不足を補ったことを伝えた。

午前00時50分、取材班の記者はやっと再び搭乗し、2時間余りのフライトのあと成都双流空港に到着した。

心は被災地へ

首都空港で出発を待つ間、待合室ホールのテレビはほぼすべてが今回の大地震に関する報道を流していた。

待合室の乗客の1人は、すでに電話で家族の安全は確認しているものの非常に心配だと語った。

「成都の私の家は6階にある。地震のあとでやっとつながった電話で、安全のために室内ではなく室外で寝るよう家族に伝えた。余震の可能性があるから」と、成都の某大学教授だという男性は話してくれた。

汶川の状況を尋ねると、10数年前に汶川、理県、北川などへ行ったことがあるという同教授は「これらはみな山間地区で、山間を通る自動車道路で外部とつながっている。だから、いったん土砂崩れなどがあると深刻な状態になるに違いない」と話してくれた。

13日には成都で数回の体感余震があった。龍蟠路近くに住む女性、劉さんは、被災を避けるために家族とともに夜は車の中で寝るつもりだと語った。14日午前3時過ぎごろ、記者たちの乗ったマイクロバスが双流空港から成都市内のホテルへ向かう途中では、道端に張られたテントを1、2張り見ただけで、全体的には平常通りの様子であった。

午前4時過ぎ、ホテルに着くと、ロビーのソファで寝ている人々が目に入った。彼らのそばのテーブルにはミネラルウォーターが目一杯入った瓶が数本置かれている。ホテル側の話では、彼らはみなホテルの宿泊客で、地震が心配で出口に近いロビーで寝ているのだという。

14日午前10時55分、3階の客室にいた記者は突然4、5秒間、眩暈を覚え、続いて軽い揺れを感じたが、その後すべてが平静に戻った。ホテルの通路には10数人の宿泊客と清掃係が慌てて階段へ向かって逃げ出す姿があった。

全国民が震災救済に立ち上がる熱気の中で、メディアも積極的な姿勢で今回の自然災害の詳細を人々に知らせようと努めている。外国向けPR機関として中国外文局の指導者が取材班をまず被災現場に赴かせたのも、この稀に見る災害を伝えなければならないという使命感からだ。

「北京週報日本語版」 2008年5月15日

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