旅人では見えなかった“老百姓”の生活
南京大学日本語学部専家 斎藤文男
還暦の挑戦に旅立つ
2001年10月1日。JAL971便で成田を出発したとき降っていた小雨の雲は、上空に出たあとすぐになくなり、南京はすっかり晴れていた。この日は新中国52年目の国慶節と中秋節が重なり、お祝い事が二重になった。60歳で新聞社を定年退職し、中国で大学の教壇に立つことになった。 “還暦の挑戦”に天も祝福してくれたのかもしれない。
歴史と現代が同居する専家楼南窓外の景色
大学宿舎の専家楼南側には、黒いどっしりとした屋根瓦と城壁を思わせるようなレンガで造られた3階建ての「南苑」がある。中国人学生や外国人留学生寮として100年余りの歴史があり、今は大学運営のホテルとして改装されたものだ。「南苑」の向こう側には、30階建て前後の現代的な高楼が見える。歴史と現代が同居しているその中間の夜空には、中秋の満月が浮かんでいる。還暦の挑戦は実にロマンチックな風景からスタートした。かぐや姫が夜光杯に葡萄の美酒を手ににっこり現れそうな1日目の夜である。
屋台の朝食で高菜そばを食べる
翌日は朝5時半起床。まずは朝食。大学前の漢口路の屋台で高菜そば(雪菜肉丝面)とマントウを注文した。周囲では、出勤前の夫婦や小学生らしい子供、女子中学生などがそば、ワンタン、マントウ、油条などを思い思いに無言で食べている。老舎が小説で描く北京の胡同に入ったように思えた。
朝の胡同は“老百姓”の生活の縮図でもある。高菜そばを食べていると、5、6歳の男の子が目の前で吐いていた。何も食べていないようで、胃液だけが出てくる。付き添っていた母親は心配そうにおでこに手を当てて熱があるかどうか測っていた。子供は苦しそうな顔をして荒い息遣いをしている。そばやワンタンなど食べている前で、こどもが嘔吐したりすれば日本だったら、大騒ぎになるだろう。しかし、だれもとがめる人はいない。夫婦と中年の娘らしい屋台の従業員は、何でもないといった表情で、もどしたものを水で流していた。
朝食を終えて屋台から宿舎への帰り道、歩道で3、4歳の女の子が小刻みに足踏みをしていた。そばにいた母親が急いでズボンを下ろすと、中は尻割れパンツ。歩道の上で用をたしていた。その後の処理は誰がどのようにするのだろうか。中国の環境問題で一般市民への啓発はこれからが大変だなあ、と思った。
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