同館のオープンに先立ち、南京では、記念館前の広場における南京大虐殺をテーマにした彫像群の展示、『南京大虐殺史料集』第29-55巻の出版(第1-28巻は05年に出版)、新劇の公演などさまざまな活動が行われていた。また元陸軍第59師団の軍曹の話(「南京大虐殺70周年」コーナー参照)や南京大学歴史学部の研究者の話を聞き、「中国のシンドラー」と呼ばれるドイツ人、ジョン・ラーベ氏の記念館などを訪れ、話を聞いた。
各訪問先で激烈な言葉を聞かされるであろうと覚悟していたものの、中国側の責任者や研究者はいずれも史料に基づく事実を、いたって冷静に言葉を選びつつ語るのみで、かえって心苦しい思いもした。
最近、日本の一部の人々からは南京大虐殺をめぐってさまざま論議が起こっている。特にその犠牲者の人数をめぐって議論する人もいるが、日本が中国を侵略し、中国の無辜の民を多数殺害したことは確かな事実だ。数万人を殺害したから許され、数十万人を殺害したから許されないという問題ではない。軍とは無関係の普通の市民、もしくはすでに武装解除して武器を持たぬ人々や捕虜の命を多数謂われもなく奪ったことが何より問題なのではないだろうか。
戦後生まれの私はむろん現場を目撃したわけでもなければ、「戦争」という事態も両親を含む戦争体験世代から聞いた話を通じてしか理解できない。しかし、想像力は持っているつもりだ。中国本土を戦場にして日本の軍隊が戦争を行った以上、これは侵略としか言いようがなく、その被害に遭った無辜の人々やその遺族、遺児の気持ちを想像することぐらいはできる。そして、そうした人々の前では言葉を失う。謝罪の言葉以外、何も言えなくなる。
ただ正直なところ、数十年にわたってこの中国侵略という親の世代が残した負の遺産に向き合っていると、個人で背負いきれない問題の重さに心がささくれだっていくのも事実だ。
21世紀に入り、この新しい世紀を20世紀のような「戦争の世紀」、「対立の世紀」にはせず、「平和と安定の世紀」、「和解の世紀」にしていくためにも、こうした精神の疲弊を乗り越えていける力強い思想を築きあげるときが来ているのではないだろうか。
現在、直接被害に遭った人々も、加害者として戦争に参加した人々も高齢を迎え、この時代を証言できる人は年々少なくなってきている。平和な時代を末永く持続させていくためには、過去の戦争の記憶を風化させてはいけないが、そのためにも日本は官民あげて当時の歴史資料を発掘し、これを公開していく必要があると思う。
日本は1945年の敗戦以降、戦争に直接参加したことはない。一度たりとも武力を行使したことはない。日本が敗戦後の焼け野原から立ち上がって一定の繁栄を築けたのもこの平和と安定があったからだ。このことは何よりも日本人が誇りとしてよい正の遺産となっていくだろう。そしてこの正の遺産を真底からクリーンな正の遺産として強固なものにし、この誇りを永遠に持ち続けていけるためにも、また次の世代に国民としての心の負債を残さないためにも、過去の歴史を正面から見つめ、次の世代にしっかりと事実を伝える教育を行い、人の強さと弱さを、また平和がいかに得がたいものかを伝えていく必要があると切に思う。
「北京週報日本語版」 2007年12月12日
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