丁志涛
香港で最も人を感動させる景観には依然として大英帝国の烙印がついている。太平山のてっぺんから眺めるビクトリア湾は人々を失望させることは一度もない。光り輝く日光のもとにあろうと、きらきら光る夜景の中にあろうと、この長年にわたって名声を博してきた港湾はすべて人々の「目にとっての盛大な宴」となるものである。このスピードと活力で知られているもとの植民地においては、大通りにおいても、公園においても、ひいては硬貨にも、依然として第二次世界大戦で命を落としたイギリス軍の将兵、イギリス人総督と皇室の名前が残っている。
うわべから見れば、香港には大きな変化が見られない。鄧小平氏がかつて承諾したように、「競馬はこれまで通りおこなわれ、ダンスはこれまで通り踊れます」のである。競馬場において、観覧席の人々の視線がしっかりと疾駆する馬の蹄を追い、雰囲気もこれまで通り熱気に満ちている。しかし、一人の人間が同じ川の水に2度と足を入れることは不可能であるように、今日の香港はすでに10年前の香港ではなくなった。たえず流れつづける川水のように、この都市も絶えず発展、変化している。1997年7月1日、香港は一夜の間に植民地としての地位と訣別し、中華人民共和国の香港特別行政区となり、大英帝国の国旗が中華人民共和国の五星紅旗と香港のハナズオウの区旗に取って代わられた。このほか、過ぎ去った10年間に、香港にはまたより多くの目に見える変化が見られることになった。
しかし、更に深く突っ込んで見れば、香港には何も大きな違いがないことを感じ取れる。だからこそ、王炎発さんの何人かの友人もまた香港に戻ってきた。香港の復帰以前、メディアは香港のために暗たんたる将来を描き出し、多くの人はそれを深く信じて疑わず、次から次へと国外に移住することになり、二度と帰って来ることはありえないだろうと語っていた。
魚屋さんの王炎さんは今年52歳で、彼はこの歴史的時点の前と後のことをはっきりと覚えている。「その時、私のこれらの友人はおどろかされて香港を離れたのでありました。今では一部の人たちはすでに帰って来ており、しかも今後もう一度香港を離れることはありえないと語っています。」非常にはっきりしていることだが、王炎発さんは自分が残る決定をしたことにとても誇りを感じている。
香港が再度中国の領土の一部になった時から、世界じゅうの人々はすべて心から香港に関心を示した。香港はその自由港の地位を保つことができるのか?「一国二制度」はいったい何を意味しているのか?その時、香港がおかしくなることを吹聴した人たちの声はかなり高いものであり、一部の香港人は最悪の事態に対する心構えをしていた。
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