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鄧小平の子女・鄧榕女士に聞く

 

香港を2回眺める 心境は異なる

 1992年、鄧小平は深センで香港を眺めたが、これは歴史の瞬間として永遠に中国人の心に残ることになった。常に父の傍らに付き添っていた鄧榕女士は、「実際に、父は深センで香港を2回眺めていますが、その心境は非常に違っていました」と話す。

第1回は1984年のことで、初めて南方をめぐり、深センを視察した時だ。「時おり寒くなる初春のことで、その日は寒く、父は文錦渡の港に来て、背の低い灰色の国境防衛の小さな建物に登り、建物の古びた窓を通して、随員が前方を指さして、あれが香港だと説明してくれました。父は遠くから香港を眺め、黙々として一言も話しませんでした」

鄧榕女士は「当時、香港はすでに経済の発達した国際化された大都市で、私たちがいる沙頭角はまだ完全には発展していませんでした。まだ覚えていますが、当時、深センが報告をしてくれた時に、ある問題について話したのです。大陸の方から泳いで違法に香港の方に渡る人が大勢いる、というものです。ですから、発展することは極めて重要で、でなければ、どのように囲い追いかけ、食い止めようとしもダメでしょう」

「84年に広東に行った時、父は経済特区の建設に対する疑義の声にいかに応えるか、という問題を集中的に考えていたので、ずっとただ眺めるだけで、話はしませんでした。その時、父は香港を眺めたのです。その心境は、1992年に皇崗の港にある大橋から眺めた時とは大変違います」

2回目に眺めた時の話になると、鄧榕女士の語調は軽やかになり、楽しく語るようになった。「あの時、皇崗港はできたばかりで、斬新な大橋と8年前の古びた文錦渡港とは隔世の感がありました。大橋で香港を眺めるのは、高所から遠くを眺めるという感じでした」

「この時、父はずっといろいろなことを話していましたが、それは後に整理されて南方談話となりました。当時、香港復帰の大枠は定まっていて、97年はだんだん近づいており、父は多くの心血を注いで香港問題を解決したら再び香港を眺めたいと思っていました。私は傍らにいて、父の眼に思いが溢れ、自信が溢れ、落ち着いた気持ちになっているのを見て取りました。父は香港の友人に、たとえ車椅子に座ってでも、97年には香港に行きたい、われわれ自身の土地を歩き、見てみたい、と何度も語っていました。これが唯一の願いであり、香港に対する熱き思いなのです。中国人民の息子として、祖国のために幾分かの力を捧げられることを、非常に喜んでいました。子女として、こうしたことを思い返すと、私たちは父を誇りに感じます。でも結局は、誰しもが自分の祖国のためにこのような大きなことを達成する機会が持てるというわけではありません」。父の果たせなかった願いを思い起こすと、鄧榕女士の眼に涙が溢れ、嗚咽で声もかすかになった。

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