2004年、ドラえもんの著作権元である小学館は、「ドラえもん」の正式な中国語名称が「哆啦A夢」であることを正式に発表。その後、アフレコを新しく撮り直したリニューアル版アニメが中国大陸の60局以上のテレビ局で同時に放送された。この頃、「70後」や「80後」(1980年代生まれ)は皆大人になっており、「ドラえもん」は幼年時代の消すことができない美しい記憶となっていた。また、国内の数十局で同時に放送された統一版「ドラえもん」は、まさに当時幸せな子供時代を過ごしていた「90後」(1990年代生まれ)の視聴者層をも取り込み、おそらく、当時唯一にして初の集団的な「共鳴現象」を引き起こした。当時は中国の大衆文化が隆盛を誇っていた時期で、同時期にこれほど人気を博した海外アニメーションが普及したことはなく、「ドラえもん」はメディアがこぞって注目する大きな話題になった。
2007年、2008年には劇場版「ドラえもん のび太の恐竜」「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」が前後して中国の映画館で公開されたことで、「ドラえもん」の「90後」と「00後」(2000年代生まれ)に対する影響力が高まった。当時、すでに「70後」の観客が子供を連れて映画館を訪れる現象が見られるようになっており、ドラえもんの影響力は2世代にわたる親子の間で引き継がれていった。
2013年から、「ドラえもんの秘密道具展」が全国各都市で開催され始めた。会場には、まだ歩き始めたばかりの幼児を含めた「10後」(2010年代生まれ)の姿も見られた。このように、「ドラえもん」の影響力は、一部の祖父母世代のファンを含む、中国のほぼ全世代を網羅していると言ってもいい。
■笑いと涙のツボが織り込まれた映画
「ドラえもん」が中国に進出した頃、中国では一人っ子政策導入後の初の一人っ子世代が子供時代を迎えていた。興味深いのは、「ドラえもん」に登場するキャラクターはすべて「一人っ子」であることだ。中国の一人っ子たちも、劇中の登場人物が勉強や生活で遭遇するさまざまな問題や悩みを同様に体験していたが、それを相談できるような人が身の回りにいなかった。この時、善良で可愛く、不思議な力を持ったドラえもんが子供たちの目に飛び込んできた。まさに「ドラえもん」こそが、一人っ子世代が心から必要としていた最も理想的な友人だった。
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