●雍和宮の「臘八粥」は「北京の絶品」
「臘八粥」作りを監督させるため、皇帝が特別に司官を派遣
「臘八粥を食べる」「祭祀を執り行う」などの風習のほか、「臘八粥を配る」習慣も、北京で清代民国末期から続いている。当時の北京には、かなり多くの寺院があり、城内外で数百に上った。市民が幸福を祈願し、互いに交流する場所であった寺院は、風習の拡大に非常に大きな役割を果たした。光緒年間、雍和宮が作る「臘八粥」が大いに名を馳せ、「北京の絶品」と称えられた。大きな鍋で一度に50キロの米を煮ることができた。また、皇帝は、特別に司官を派遣し、「臘八粥」作りを監督させた。このころ、「臘八粥」は旧暦12月7日に創らなければならなかった。弱火でコトコトと煮込み一晩置き、翌日、人々に配られると同時に、寺院の神仏に奉納された。これは、「臘八粥」の風習の中でも、最も大切な行事であり、ひとつは「幸福を願う」、もうひとつは、「貧しい人々の存在を忘れない」ことを皆に思い出させるという意味が込められていた。
また、別の視点から見ると、実は、「臘八粥」は名実が伴っていない。というのも、8種類の材料で作られている訳ではないからだ。「臘八粥」には好きな具材を自由に入れることができる。その種類が多ければ多いほど、縁起が良くなると言われている。ただし、必ず入れなければならないものが3つあり、それは、「ナツメ」と「ハトムギの実」と「ヒシの実」だ。赤ナツメは、皮を剥きすり潰したものを粥に入れて一緒に煮る。一般的には、土鍋で煮るのが良いと言われる。また、ハトムギの実は、色づくまで十分炒め、「臘八粥」の上に散らす。両者はいずれも、「勢いが盛ん」という意味を含んでいる。
注意する点は、「臘八粥」は当日に完成させることができないことと、当日の午前中に食べることだ。ある民俗研究家は、「この習慣は、古い風習が一般化したものであり、また、『厄払い』の意味もある」と指摘している。(編集KM)
「人民網日本語版」2015年1月27日