中華人民共和国国務院報道弁公室 2014年6月
前書き
「一つの国、二つの制度」は中国政府が国家の平和統一を実現するために提起した基本的国策である。この「一国二制度」の方針に基づき、中国政府はイギリス政府との外交交渉を通じて過去から残された香港問題を成功裡に解決し、1997年7月1日に香港に対する主権行使を回復し、香港の祖国復帰という長年にわたる中国人民共通の願いが実現した。香港はこの時から植民地統治を脱し、祖国のもとにもどり、祖国大陸部と互いの強みを生かし、ともに発展する広々とした道を歩むことになった。
香港の祖国復帰により、「一国二制度」は科学的構想から生きた現実となった。中央政府は香港基本法を厳格に踏まえて事を処理し、憲制の責任を真剣に履行し、香港特別行政区の行政長官と政府が法に基づいて政治を行うのをしっかりとサポートした。香港特別行政区は法に基づいて高度な自治を実行し、行政管理権、立法権、独立した司法権と終審権を享有し、引き続き従来の資本主義制度と生活様式を維持して変えず、法律は基本的に変えず、引き続き繁栄と安定を保ち、各種事業を全面的に発展させた。「一国二制度」は香港でますます深く根づき、香港同胞を含めた全国人民の心からの支持と国際社会による幅広い評価を獲得した。
「一国二制度」は新しく誕生した事象として、実践の中でたえず模索し、開拓しながら前進する必要がある。「一国二制度」の香港特別行政区における実践の道のりを振り返って総括し、「一国二制度」の方針・政策を全面的に正しく理解し貫徹することは、国の主権、安全、発展の利益を守ることに役立ち、香港の長期的な繁栄と安定を保つことに役立ち、「一国二制度」の実践を正しい軌道に沿って前進させることに役立つ。
一、香港の円満な祖国復帰の過程
1980年代の初め、国家の平和統一を実現するため、国の指導者鄧小平は実に独創的な「一国二制度」の科学的構想を提起し、それをまず香港問題の解決に用いた。鄧小平の論述によれば、「一国二制度」とは一つの中国という前提のもとで、国家の主体は社会主義制度を堅持し、香港、澳門(マカオ)、台湾は従来の資本主義制度を長期的に維持し変えないことを意味する。
1982年12月4日、第5期全国人民代表大会第5回会議が採択し、公布施行した『中華人民共和国憲法』第31条は、「国は必要がある場合特別行政区を設置することができる。特別行政区内で実行する制度は具体的な状況に応じて全国人民代表大会がこれを法律で定める」としている。これは「一国二制度」の構想を具現したもので、中国政府が国家の平和統一を実現したさいに、いくつかの区域で大陸部とは異なる制度や政策を実行する特別行政区を設置することについて直接の憲法上のよりどころをもったものである。深く掘り下げた調査研究を経て、1983年初頭、中国政府は香港問題の解決について次のような「12カ条」の基本方針・政策を策定した。(1)中国政府は1997年7月1日を期して香港地区に対する主権行使を回復する。(2)主権行使の回復後、憲法第31条の規定により、香港に特別行政区を設置する。香港特別行政区は中央人民政府が直轄し、高度の自治権を享有する。(3)特別行政区は立法権、独立した司法権と終審権を享有する。現行の法律、法令、条例は基本的に変えない。(4)特別行政区政府は同地の人々で構成する。政府の主要官僚は同地で選挙あるいは協商により選出し、中央人民政府が委任する。前香港政府各部門の公務、警務のスタッフは留任することができる。特別行政区の各機構はイギリス人やその他外国籍の者を顧問として招聘することもできる。(5)現行の社会、経済制度は変えず、生活様式は変えない。言論、出版、集会、結社、旅行、移住、通信の自由、宗教信仰の自由を保障する。個人の財産、企業の所有権、合法的相続権、および外来投資はいずれも法律の保護を受ける。(6)香港特別行政区は従来どおり自由港、独立関税地区とする。(7)金融センターとしての地位を維持し、引き続き外国為替、金、証券、先物などの市場を開放し、資金の出入りを自由にし、香港ドルは従来どおり流通し、自由に交換できるものとする。(8)特別行政区の財政は独立を維持する。(9)特別行政区はイギリスと互恵経済関係を結ぶことができる。イギリスの香港における経済的利益は保護される。(10)特別行政区は「中国香港」の名義で、単独に世界各国、各地域、および関連国際組織とのあいだで経済、文化関係を維持、発展させ、協定を結ぶことができる。特別行政区政府は香港に出入りする旅行許可証を自ら発行することができる。(11)特別行政区の社会治安は特別行政区政府が責任をもつ。(12)上述の方針・政策は、全国人民代表大会が香港特別行政区基本法によりこれを定め、50年間変えないものとする。
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