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文化・科学・観光  
鑑真和上と梁思成が初対面

 

梁思成が設計した鑑真記念堂(中央にあるのは唐招提寺から寄贈された石灯籠)

◇30年間で訪中者140倍、訪日者は300倍◇

私が初訪中した1977年に中国を訪れた日本人は、年間2万3445人(日本の「外交青書」1978年版)だった。それから30年ほど経過した2008年には約345万人(同2010年版)と140倍あまりに増えている。中国から日本を訪れた人は77年には4039人しかいなかったが、08年には約121万人と300倍に急増している。これだけの人的交流があったのだから、相互理解はいっそう深まっているはずだろうが、最近は反日デモ、嫌中デモが双方で行われ、領土問題や歴史認識問題など、あちこちでぎすぎすしたきしみ音をたてている。人の往来が数100倍に増えても、双方の理解が深まらないことを如実に示す数字といえる。

梁思成が日本人にはあまり知られていないのもその一つの表れなのだろう。鑑真和上像の2回目の里帰りについて、日本の報道メディアは比較的目立つ扱いをしていた。しかし、大明寺境内に設置された梁思成の銅像については、ほとんどのメディアが触れていなかった。梁思成は、清朝末期の啓蒙思想家・学者である梁啓超(1873~1929年)の長男で、中国では著名な建築家であり、鑑真記念堂の設計者としても知られている。

昨年10月、記念堂の脇に設置された梁思成の銅像は、1940年代の生前の姿をもとに作られたものだという。眼鏡をかけてネクタイをした胸像は、遠くを優しく見つめているような眼差しだった。顔の表情は、自分で設計した記念堂の主と初対面し、心なしか面映ゆいような感じがしているように見えた。

脇にあった案内版には中国語、英語、日本語、韓国語の4カ国語で、鑑真和上が「日本文化の恩人である」と触れたあと、記念堂については「梁思成が日本の唐招提寺の金堂の設計を参照に、1973年に着工した」と説明が書かれていた。

梁思成が日本人にあまり知られていないのは、日本のメディアがこのような貴重な2人の文化人の初対面を取り上げないからでもあるだろう。メディアの関係者すらも知らないのか。知っていても何かの理由があって意図的にニュースからはずしたのだろうか。いずれにしても貴重な出会いのニュースが報道されなかったのは、日中文化交流の歴史の中で残念なことだった。

鑑真和上像が揚州市の大明寺に2010年11月、30年ぶりに“里帰り”したとき、境内の鑑真記念堂を設計した梁思成と和上が初対面となったことを報道した日本のメディアはほとんどなかった。梁思成の銅像を一度は受け入れ姿勢をみせた奈良県も、反対の声に押されるようにして計画を撤回してしまった。「歴史的事実がはっきりしない」との理由のようだが、メディアも行政側も史実を解明して、日中の文化交流に役立てようとする積極的な動きが見られないのはなぜなのだろうか。

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