◆雅安碧峰峡は「避難港」
「この基地は計画、建設からちょうど10年、非常に重要な役割を果たしてきました。90年代末にパンダの人工飼育技術は比較的成熟し、臥竜自然保護区内で飼育されたパンダはおよそ90頭。大規模な感染症や天災に遭えば、保護区全域にいるパンダは壊滅的な被害を受けることになります。区内で飼育されている個体群の安全と、リスク分散のために、雅安碧峰峡に新たな基地を建設したのです。その時のパンダは20頭ぐらい。碧峰峡の気温や植生はパンダの生活に非常に適していて、竹もかなり豊かです。08年の大地震では、臥竜はその中心にあり、映秀鎮からわずか10キロ、区内の数多くの施設やパンダ舎は重大な被害を受け、職員や必要な設備をすぐ碧峰峡基地に移すことにしたのです」。同基地主任補佐で教授の湯純香さんはこう話した。
本誌記者のインタビューを受ける湯純香さん(石剛撮影)
湯さんによると、震災後、政府は碧峰峡基地に移すパンダ安住のため緊急資金を拠出し、仮設の小屋と職員住宅を20棟余り建設。その後、同じ数の本格的なパンダ舎が建設されたことで、同基地の収容力は向上した。全国の野生動物保護区、動物園にも、パンダを迎え入れるための施設が設けられた。野生のパンダについては、地震が生息環境に及ぼしたと思われる影響を考慮し、政府は人的、物的な面から破壊の程度を実地調査。道路の改修、野外追跡研究基礎施設の整備、竹の栽培などの植生回復作業を実施した。
臥竜で働いていた飼育係の高さんも地震後に雅安碧峰峡基地に。「地震が起きた時、ちょうど飼育場にいて、山にある石が天地を覆い隠すように崩れてくるのを目にしました。当時、世話をしていたパンダは06年の生まれ、後にオリンピックに参加しました」
高さんによると、現在、碧峰峡基地にいるパンダは、臥竜で飼育されていたものを含め100頭前後。基地内にはパンダ幼稚園、研究センターや交配施設などが設けられている。春節(旧正月)から6月までがパンダの発情期。飼育係にとっては多忙な時期だ。食事の世話に清掃、生活状態の観察などのほか、パンダの交流、交配も手助けしなければならない。
「臥竜で飼育されていたパンダは地震におびえ、その後、人への依頼心が強くなり、臆病なパンダは飼育係さえも怖がるようになりました。雅安に移って以降、地震を経験したパンダについては、心のケアを行ったり、やさしく接したり、時間がたつにつれて落ち着きをとり戻し、次第にのびのびとしてきました」。高さんによると、雅安と臥竜の気候の差は非常に大きい。雅安は雨が多く気温が高く、湿度も高い。臥竜は相対的に乾燥している。移って来たばかりのころ、蒸し暑い気候のせいか運動する時間は少なくなり、食べものの面でも、竹の品種が違うことから、雅安に慣れるまで時間がかかったという。
碧峰峡基地では普通、1日に飼料(ニンジンやタケノコなどで構成)を6回、分量はパンダの体重に合わせて与えている。体重が標準を上回っているパンダに対しては量を調整。発育が良くない場合は、牛乳などの栄養成分を補充している。食事は「少量多回数」。8時から5時半まで飼育係が付き添い、午前と午後に3回ずつ飼料と竹を与える。特別な事態に備えて夜勤が常駐。
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