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昔は思い出すのも辛い 今は幸せ

 

パーラー荘園の家僕

早くも17世紀後半には、ダライ・ラマ5世が発布した文書に「人(農奴)と水、草、森林は土地とともに農奴主に封ずる。農奴主は、農奴を売ったり抵当に入れたり、譲渡したり死刑に処したりすることを随意に行える。農奴主はさらに、直接使役のできない最下等の農奴が人役税を納付することを強制し、これによって従属関係を示す」と明確に規定されている。

ミーマ・トゥンチュさんは13歳のときにパーラー荘園の家僕となり、15歳から裁縫の仕事を始め、いわば技術工であったため、農場で働くほかの農奴たちよりは1等級ランクが高かった。そのころは、毎日8時から7時まで忙しく働き、昼間には休む時間もなかった。執事が技術工の農奴に配ったノートに、毎日仕事が終わると印鑑を押し、皆勤したときには毎月14キロのハダカムギがもらえた。

「14キロでお腹いっぱいになると思ってはいけない。中のほとんどは砂のようなものばかりで、お腹がふくれるようなものではなかった」。50年前の苦しい歳月がなおありありと目に浮かぶように、彼はこう語った。

いったん農奴主を怒らせたら、農奴たちは刑罰を受けた。ミーマ・トゥンチュさんの妻はパーラー領主の娘の小間使いだったが、ある時、娘に仕えているときにうっかりコップを割ってしまい、執事からムチで顔を打たれ、十数日間も顔が腫れ上がってしまった。

農奴を最も極端な仕方で処罰する場所は、ポタラ宮の下の雪原で、目をえぐる、足の腱をとる、舌を切る、腕を斬る、足を斬る、などの刑罰が行われたり、サソリがぎっしり詰まった部屋に農奴を押し込み、サソリに農奴を襲わせたりした。

ミーマ・トゥンチュさんの一家と彼の友人たちは、小さくて暗く、古くなってボロボロの技術工農奴の住居に住んでいた。各家には6平米の部屋があるだけで、陽も差さないその部屋で常に2世代、3世代の人々がぎっしりと詰め込まれて暮らしていた。そうした生活が10年間も続いた。

そして、その向かいには豪華で贅沢なパーラー荘園があった。中は世界各地から輸入された宝石やじゅうたん、高級化粧品、ロレックスの時計などで満ちあふれていた。

そのころの農奴たちは反抗というものをまったく知らず、自分は「口をきける家畜」にすぎないと思い込んでおり、運命を呪うことしかできなかった。

旧チベットの封建農奴制社会は、ヨーロッパ中世よりもさらに暗く、遅れていた。チベットの人口の5%にも満たない役人と貴族、寺院の高僧という三大領主が、チベットのすべての耕地、牧場、森林、山河およびほとんどの家畜を占有していた。そして、人口の95%以上を占める農奴と奴隷には、土地とその他の生産手段もなければ、人身の自由もなく、領主の荘園に従属して家僕として生きるしかなかった。

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