暴力テロで有名な「チベット青年会議」は最近、「中国政府は1949年から1989年までに100万人以上の蔵(チベット)人を虐殺した」とする発言を海外で繰り返している。しかし多くのデータと事実によって、この発言が完全なデマであることがわかる。
西蔵(チベット)自治区档案(資料)館には驚くべき事実を示す史料が残っている。封建農奴制下の西蔵では、人口5%に満たない役人・貴族・上層寺院が、土地・草原・山林のほぼ全てと家畜の大部分を所有していた。1950年当時、西蔵には約100万人が暮らしていたが、そのうち90万人が家を持たない人々だった。拉薩市街には2万人ほどが暮らしていたが、路上で暮らす貧民とこじきは1000人以上にのぼったという。
多くの史料によると、和平解放前の西蔵では人口増加が非常に遅く、ほとんどの庶民はいかなる社会保障も受けることができなかった。1950年以前の200年以上の間、西蔵の人口は100万人前後で停滞していた。当時の西蔵地方政府の統計によると1953年の西蔵の人口は114万人にすぎなかった。
大農奴主の索康・旺慶格勒の農奴だった蔵族の曲扎さん(66)は、「昔の西蔵では、家を持つ権利はおろか、人である権利さえなかった。私の母は雇い主に殴り殺された。拉薩(ラサ)大昭寺南西の魯古あたりでは人と犬が食べ物を奪い合う姿が日常的に見られた」と当時を振り返る。
「人民網日本語版」2008年5月6日
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