「一枚の身売証文によって、自由と尊厳、命さえも農奴主に預けていた。解放前のチベットの人民の生活は牛や馬にも劣るものだった」。「身売証文を燃やす農奴」の写真の前で、北京在住の程万昌さんは感慨深げに語った。
数日前から北京民族文化宮で「西蔵(チベット)民主改革50年大型展覧会」が開催され、程さんのような多くの一般市民が、「チベットの世界」に足を踏み入れている。本展では、写真500枚以上、実物・文献資料180点以上が展示され、50年間の真実が再現された。この意義深い変革の中で、最も人の心に響くのは、100万人の農奴の運命が大きく変わったことだろう。
「世界の屋根」に足を踏み入れた、韓国ソウルテレビの崔元碩・記者は、「以前はただ本やネットからチベットの情報を得ていました。現在のチベットは、わたしたちが以前知っていたチベットとは大きく違うようです。多くの人が伝統的な民族衣装を身につけ、きれいな自分の家を持っている。これはとてもいいことだと思います」と感想を語った。崔記者と同じように、この早春にチベット入りした外国人記者らは、「チベット100万人農奴解放記念日」が普通のチベットの人々に与える意義について、直接的に認識と感想を深めた。記者らが今後いわゆる「敏感な」問題を単純に注視するのではなく、その視線を普通のチベット族の人々に向けるようになれば、その視野はますます広がるだろう。チベットを観察する見方が変われば、限られた一部の人や物事だけに簡単にとらわれることはないだろう。
普通の人に目を向けるのは、確かにわたしたちがチベットの50年の大きな変化を見る上で重要なことだ。普通の人の生活が良くなったのか、悪くなったのか?普通の人の人権は改善されたのか、失われたのか?普通の人への福祉は強化されたのか、弱体化したのか?というのが、チベットの民主改革50年が成功したかどうかを判断する根本的な基準となる。
▽旧チベットを振り返る
民主改革前、チベットには奴隷と農奴主という、2種類の人間しかいなかった。ダライ・ラマ14世の兄が英国製の玩具の自動車に乗って遊んでいる時、同年齢の子供たちは通りで犬と食物を奪い合っていた。農奴らは長い行列を作って山から石を担いで下り、農奴主のために豪華な別荘を建て、自らは家畜小屋や路上だけでなく、トイレの下でも寝泊りしていた。当時英軍に従軍してチベット入りした英国記者は「世界の歴史を見ても、こんなにどうしようもない暗黒な世界が突然科学の前に暴露されたのは先例のないことだ」と感慨深く語っている。
民主改革は旧チベットが新チベットに生まれ変わる分岐点となった。チベットの庶民280万人以上が50年間の変化を最も肌で感じ、福祉の恩恵を受けている。
1950年当時、チベットには100万人以上が暮らしていたが、うち約90万人は住居がなかった。現在、チベットの都市部住民は1人当たり平均33平米の住居を持ち、農牧民は1人当たり平均22.83平米の住居に住んでいる。旧チベットには現代でいう学校というものがなく、適齢児童の入学率はわずか2%にとどまり、非識字者率は95%に達していた。それが、2008年にはすべての義務教育が実現し、字が読めない人はほぼいなくなった。
ひとつの社会が進歩しているか、後れているか、ひとつの制度が先進的か、無知であるかは、大多数の人に恩恵をもたらし、大多数の人の権利を最大限に保護しているかを見る必要がある。半世紀にわたるチベットの現代史が証明するように、民主改革がなければ、チベットの95%という大規模な労働人口は解放されることもなく、チベット社会の飛躍的な発展はありえなかった。封建的な農奴制度の打倒は、チベットの進歩にとって欠かせないことであり、世界の人権事業にとっては偉大な成果であるといえる。
歴史が逆戻りするのを誰も望んではいない。一部の農奴主らがかつての生活を思い焦がれているだけだ。今日のチベットの幸福は普通の人の幸福であって、農奴主の幸福ではない。普通の人の幸福な生活、一人一人のすばらしい未来こそが、時代の潮流であり、文明的に価値あるものだ。
「人民網日本語版」2009年3月10日
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