Imprimer cet article

Commenter cet article

北京週報>>社会  
葡萄の郷のウイグル族医師、医療で社会に恩返し

 

葡萄の一大産地として有名な新疆ウイグル自治区トルファン市葡萄溝。そこは世界で最も甘い葡萄を産するだけでなく、誰もがよく知るウイグル族の村の医者、アサンジャン・ユスイン(艾山江・玉斯音)さんがいる。子供の病気を診察してもらうなら、誰もがアサンジャンさんを推薦する。アサンジャンさんはわずか34歳ながら豊富な小児病治療経験を持ち、現地で厚い信望を集めている。 

小児患者を診察するアサンジャン・ユスインさん。

記者がアサンジャンさんを訪ねたのは、トルファンが最も暑い盛夏のことだ。いったん太陽が昇ると気温は摂氏40度を超える。これほどの高温の中で、アサンジャンさんは診察室に姿勢よく座り、満面の笑みを浮かべ、疲れも見せず患者一人ひとりを診察していた。正面を向いて全身が見えるようにしなければ、アサンジャンさんが右足を失った身体障害者だと気付く人はいないだろう。 

22歳の時、現地の生学校(医学や薬学、看護学の中等専門学校)を卒業したばかりのアサンジャンさんは、不幸な車の事故で右足を失った。アサンジャンさんの兄は彼に、「専門技術を身につけて自活できるようにしなければならない。今後は父さんについて医者の勉強をするといい。父さんの医術を継ぎなさい!」と言った。アサンジャンさんの父親はかつて葡萄溝郷(郷は県の下の行政単位)の衛生院(診療所)の医師を務め、退職後は診療所を開いて医者を続けていた。 

それ以降、アサンジャンさんは父親のもとで術を学び始めた。患者のいないには、父と二人で治療法を討論するか、医学書を手に一人黙々と研鑽を積んだ。父親は長年蓄積してきた小児科の治療経験を全て彼に伝授した。父親の話になると、アサンジャンさんは尊敬の念を込めて、「父はすばらしい先生。複雑な医学理論を簡単で分かりやすく説明してくれた!」と語った。 

医者として独り立ちしてから9年来、アサンジャンさんはほとんど毎日数十人の患者を診察し、最も多い時には一日70人を診察してきた。アサンジャンさんが診察や投薬に用いるのは伝統的なウイグル族医学の手法だ。アサンジャンさんの説明によると、ウイグル族医学と中国医学は同じ根を持つもので、両者の診察手法は似通ったところがあり、どちらもまず患者の脈をとる。ただ単に細かい部分が若干違うにすぎない。 

父親診療所で学んでいる間、アサンジャンさんは医術を身につけただけでなく、父親の医者としての高尚な徳も受け継いだ。ある時、隣のの子供が急性腸炎にかかり、アサンジャンさんのところに来た時にはすでに重度の脱水状態に陥っていた。診療所の条件には限りがあったため、アサンジャンさんは子供を病院に連れて行くよう勧めた。子供の母親は、「家が貧しくて、車代しか手持ちがないんです!」と泣いて訴えた。そこでアサンジャンさんは引き出しの中にあった300元余りを全てその母親に渡した。傍にいたアサンジャンさんの父親は頷いて、「それでいい。これで安心して医者をやらせることができる!」と称えた。 

今、アサンジャンさんの名声はトルファン市以外にまで聞こえているが、「病気を治してお金を稼ぐと同時に、困っている人を助けないといけない!」という父親の教えは常に彼の耳元でこだましている。アサンジャンさんの患者はトルファン市管轄下の2県一市一帯にいる。漢族、回族、ウイグル族を問わず、身体障害者か貧困家庭であれば、アサンジャンさんは一律無償で治療し、時には交通費まで渡すこともある 

アサンジャンさんはしばしば周囲に、「事故で入院した時、家には1万元しかなかった。3万元近い医療費や薬代を都合してくれたのは同郷の人たちだった。その恩は一生忘れない!」と話す。アサンジャンさんの将来の計画は、医薬会社を立ち上げて、自分が研究開発し調合した薬を生産することだ。アサンジャンさんは、「今、診療所では毎日とても多くの患者を診察している。薬の供給は不足している。もっと多くの薬を生産して患者が使えるようにしたい」と話す。アサンジャンさんには願いがもう1つある。それは葡萄溝の天然の地理環境の優位性を活かして、葡萄ジャムの生産会社を作り、さらに多くの就職機会を創り出して、現地のより多くの人々に幸せになってもらうことである。

「北京週報日本語版」2014年8月13日

查查日语在线翻译
查查日语在线翻译: