有名になったあと、呉さんはしばしば取材されたり社会活動に参加したりして視野を広げただけでなく、仕事の機会もより多く得るようになった。07年初め、彼は浙江省のある清掃会社に高給で招聘され、高所でガラス拭きの作業を行うロボットの研究・開発・設計を手伝うことになった。
「北京以外の地に住むのは初めてで気候風土になじめなかったり、プレッシャーが大きかったりで、6月中ごろにうつ病になってしまった。初めはめまいや胸のつかえ、血圧の上昇などの症状、そのあと、焦燥感にさいなまれたりくよくよ考えたりするようになり、一番ひどいときは1週間で10キロも痩せた。それで仕事を辞めて北京へ戻ったが、それからは病気が根を張ってしまった」と呉さんは仕方なさそうに言う。
メディアからの注目度の高さは呉さんを一躍著名人にしたが、彼の生活環境には実質的な変化は生じなかった。彼がずっと完成させたいと思ってきた十二支ロボットは資金不足のため、いまだに設計図の上に留まったままだ。また彼が開設しようと準備してきたロボット学習クラスもまだ始動できない。毎日のように受ける取材は彼の時間の配分をかき乱す。プレッシャーの大きいとき、気持ちを調製しようと試み、嬉しいことを思い浮かべようとするが、たまに前触れもなく憂うつ感に襲われる。
呉さんは「いずれにせよ、実用ロボットはつくり続けられる。それは人助けにもなるし、お金を稼ぐこともできる。今は2つの会社との協力プロジェクトがあるほか、交渉中の会社もある。子どもが大学でコンピュータを専攻しているので、将来自分たちで会社を起こし、自分の商品を開発していきたい」と話す。彼の妻は「生活を変えたいとは思うが、彼の健康が第一」と言う。

幼稚園児の学習意欲を高めるためと妻の負担を軽減するため、
呉さんは母の嫁入り道具の木箱を使って幼児算数ドリル機をつくった。
左側に中国語の発音表記、右側に算数の出題、2つがうまく
組み合わさっている。(写真・石剛)
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