「定職なし」から「一発勝負」まで
呉さんが最初にロボットをつくろうと思ったのは11、2歳のときだった。ある日、家の門のところにボーッと座っていると、いきなり目の前をせかせかと通り過ぎていく人がいた。その人の後ろ姿を眺めながら、彼は人が歩くときのつり合いのとれた歩調について考え始めていた。そして、人のように歩く機械をつくることができるだろうか、という突飛な考えが急に浮かんだのだ。経費節約のため、主な機械材料はすべて廃品回収所から拾ってくることにした。
「学歴は小卒だが、実際は小学校3年生レベル。でも小さいころから考えるのが好きで、機械や玩具に特に興味があり、小さいクレーンや種まき機などで遊んだり、いろいろな鎖に熱中したりしていた。いま思い起こしてみると、あのころ、よく勉強しておけばよかったと思う。機械の発明に当たって最もたくさん使うのは数学と幾何だが、私は残念ながらそうしたことが分からないので、感覚に頼ってやるしかない」と呉さんは言う。
正確な計算に基づいて設計すれば、時間も手間もコストも節約できる。だが、「感覚に頼る」ということは「回り道」をすることを意味する。呉32号を例にとるなら、製作時間は3カ月、足は完全に人の足の動きに合わせて設計した。だが、簡単そうに見える動きの設計にも呉さんは6年近い年月を費やし、5つの案を繰り返し実験した挙げ句、やっと成功したのだった。
「あの頃は若かったし経験もなかったが、設計するときはまず物事の原理をはっきりと考えていた。学歴は低くても、機械の原理を考えるときの思考回路は明晰なんだ」と笑いながら言う呉さんはこう続けた。「いま、私の頭は使えば使うほど冴えてくるんだ。始めたばかりのときは設計に長い時間をかけ、短くても数カ月、長ければ1年半ほどかけた。今では基礎と経験があるから設計し始めれば順調に進む。たとえば、とんぼ返りができるロボット犬の設計は2時間もかからずに地下鉄に座っている時、思い浮かんだ」。

自らが発明したロボット“呉32号”に乗る呉玉禄さん(写真・石剛)
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