我々は激励の気持ちと良識から、「我が事のように感じている」。中国の先生たちは次のように呼びかけている。「中日両国国民は二千年を超える好ましい交流の時期があり、その一方、近代植民地主義戦争の傷跡も深い。今日、歴史問題はしばしば両国政府間に政治的な摩擦を引き起こしているが、これは民族が成長する過程の宿命的な困難であり、相互の激励と良識、仁愛によって克服しなければならない。両国の草の根の庶民、知識人、経営者、政治家は今、その線に沿って努力を続けている」。昨年十一月、新潟で開催された中日友好21世紀委員会第二回会合の後、中国側委員は新潟大学で開かれた座談会に出席した。中国側委員は「我々は青い大海原を波を立てずに静かにやってきた。一天雲なく、気分爽快。人間の力によって『無法者を押さえ込んで死刑を廃止することができる』ということわざがあるように、皆で手を携え、平和を唱えよう」(元中国仏教会会長・故趙僕初氏の詩)という気分だった。座談会では日本人学生がこもごもに発言した。我々は耳と目を総動員して、じっくり観察した。メディアの報道は必ずしも信用に足るものではない。ひざを交えて交流し、向かい合って話し合うとそれがよくわかる。自ら体験し、自分の目で確かめるのが一番だ。私はその場で、二十人の学生を今春、中国に招待することを伝えた。
後で分かったことだが、学生たちは大喜びで訪中の準備をしていたそうだ。大地震が発生した当日、私はすぐ電話を掛けた。挨拶もそこそこに、旅行日程を延期するかどうか尋ねた。学生たちは口々に地震はひどかったが、我々との約束と友情は微動だにしないと、話してくれた。四月初め、彼らは当初の日程通り北京にやってきた。中には親戚、友人を大津波で亡くした学生もいたが、涙をぬぐって、来てくれた。こうした尊敬すべき、愛すべき、そして強靭な精神力を持つ日本の大学生たちを見ていると、私は粛然として襟を正す気持ちを禁じえなかった。万感胸に迫るものがあるが、ひと言で言えば「我が事のように感じている」ということだ。
学生たちは北京到着二日目、中日友好21世紀委員会中国側座長の前国務委員・唐家璇氏に招かれ、迎賓館・釣魚台での歓迎宴に臨んだ。荘厳かつ熱気にあふれ、国賓の招待宴を彷彿させた。七十の坂を越えている唐氏は学生たちに囲まれ、慈愛に満ちた表情で暮らしぶりなどを尋ね、年の違いを感じさせない雰囲気だった。また新潟出身で戦後の中日関係の井戸を掘った田中角栄氏を取り上げ、中日友好の信念と情熱を継承、発展させ、両国関係の改善と発展に新たな貢献をしてほしいと、学生たちを激励した。さらに、中国で古くから言われている「万里の道を行くことは、万巻の書物を読むのと同じ(読万巻書、行万里路)」を紹介した。学生たちが今回の北京訪問を通じて、中国に対して、さらに生き生きとし、立体的で客観的な認識を持ってほしいと述べた。唐氏が「中国を目で見るだけでなく、心から中国を味わい、また、感じたこと思ったことを持ち帰り、家族、友人と分かち合ってもらいたい」と、語ったのも「我が事のように感じている」というひと言に尽きる。
「我が事のように感じている」のは、中国人の善良な本性の表れだと思う。中国の庶民の大部分は千手観音が大好きだ。他者が苦しんでいたら私たちは助けの手を一千回差し伸べるし、私たちが苦しんでいる時には助けの手が一千本ある。
さあ、みんなで手を差し伸べよう!
「我が事のように感じている」というのは、命という名において、同じ命を尊重しなければならない、ということだ。まさに台湾の青年歌手・林宥嘉が歌っている歌詞の通りだ。「誰が涙を流したことがある?教えて。誰が泣いたことがない?教えて。あなたはどうやって堪え忍んできたの?もし私なら、あなたよりもっと落ち込んでいる。人間はひとり一人、大した違いはないよ。体の形や流れる血が違っても、苦痛と快感はみんな平等。全世界の脈拍はあなたにも似ているし、私にも似ている。心を込めてさすってあげよ。あなたも、私も……」。
「北京週報日本語版」2011年4月25日
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