◇5000人が参加し74周年の追悼集会◇
74周年の11年も、12月13日午前10時から警報が鳴らされ追悼集会が始まった。会場には南京市や江蘇省政府の関係者、小・中・大学生、大虐殺からの生存者のほか、米国、ロシア、韓国などの関係者ら5000人が参加した。日本からは愛知県一宮市・真宗大谷派圓光寺の大東仁住職ら僧侶関係者、JR東日本旅客鉄道労働組合からそれぞれ約40人の計80人ほどが参加した。
「南京大虐殺74周年記念追悼集会」で黙祷するお年寄りたち
式典では66周年に設置された「和平大鐘」が日中の僧侶や生存者、小学生らによって突かれ、犠牲者を供養した。式典の最後には、04年86歳で亡くなった大虐殺事件の生存者・李秀英さんが語っていた言葉「恨みではなく、歴史をしっかり記憶しよう」で締めくくった「平和宣言」が読み上げられた。
警報は市内にも流され、南京市民にこの日が南京事件のあったことを思い起こさせていた。しかし、駐在企業の社員や留学などで地元にいる日本人の中には、この警報が何を意味しているのか分からない人もいる。数年前、南京市内で乗ったタクシーがサイレンの鳴っている間停車し、歩道では立ち止まって黙祷する市民もいた。南京事件に関する両国市民の温度差は、事件への日中報道の格差が影響しているのだろう。日本の報道メディアでは、問題がこじれたり極端な論争になることを警戒して、南京事件のニュースを意識的に避けようとする傾向にあるように思う。
南京事件にかかわる花の名称を冠にした日本の「紫金草合唱団」と、私が担当している大学生との交流会を数年前、開催したことがあった。合唱団のメンバーは積極的に大虐殺事件を話題に取り上げ、学生と交流した。戦争や事件を反省し話題にするこれらの人たちに接して、「このような日本人がいることを初めて知った」と学生たちは、日本人に対するイメージを再認識していた。
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