~変わり果てたかつての勤務地パラダイス~
斎藤文男(南京大学日本語学部専家)
東日本大震災から4カ月余りたった7月下旬。私のかつての勤務地、福島県いわき市の被災地は無残な姿をさらけ出していた。「鳴き砂」と言われたなめらかな砂の白浜には、巨大な津波にもてあそばれた浮遊物や海底のヘドロがところどころに残っていた。連日、未明からセリの声で賑わっていた小名浜漁港の漁市場は、がらんとして人気がなかった。海岸近くの水田にはコンクリート製のテトラポットがいくつも散らばり、田んぼの表面には砂が大量に積もって稲穂はまったくない。20年ほど前、新聞記者として勤務した「故郷」のあまりにも変わり果てた姿に言葉もなかった。この現実を伝えるメディアの報道人も、福島第一原発事故による放射性物質の被ばくを恐れ、一時は任地から逃避し伝えるべき責任を放棄したという。荒れ果てた「故郷」と記者魂が無くなった報道人を目の当たりにして、田園も人も変わり果てた姿に愕然となった。
◇半径20キロ圏内手前で通行止め◇
大震災が発生した時は南京に滞在していたため、友人、知人の安否や被害状況の確認ができなかった。連日の報道は、岩手県三陸海岸や宮城県の津波被害、福島第一原発事故による放射線性物質の被ばくなどのニュースが目立っていた。いわき市の報道はあまり見当たらなかったので、それほど被害はなかったのだろうか、といぶかりながらも少しは安堵していた。
事故のあった福島第一原発の20キロ手前で通行止めになった(楢葉町で)
災害発生から4カ月余りが経過したのだから、復旧作業も進んでいると思っていた。しかし、それはとんでもない間違いだった。車のガソリンを購入するのに列を並んで半日もかかった震災直後よりは、いくらか改善されたが、海岸沿いの被災地は想像していたよりひどい惨劇だった。
いわき市にいる旧友の運転する車で、高速道路の常磐道を北上すると、広野町を過ぎて楢葉町に入ったところで通行止めになった。この先は事故のあった福島第一原発から半径20キロ圏内で立ち入りが禁止されている「警戒区域」だ。
「危険 立入制限中 福島県警」の看板と、マスクをした警察官が数人警戒に当たっていた。これから先は「緊急事態応急対策に従事する者以外」は入ることができない。警戒区域内(2市5町2村)の住民は全員に退去命令が出され、それぞれ周辺地域避難所や遠く離れた親類などを頼りに避難している。
違反して警戒区域内に入れば「災害対策基本法」により10万円以下の罰金や拘留が科せられる。メディアの報道人も例外ではない。住民は自宅や区域内の様子が何カ月間も分からないままだ。メディアの記者も、原発事故後の様子は当局の発表を裏付け取材することもできず、発表を信用して報道するしかない。
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