◇教え子の想いを映した十六夜の月◇
中秋節の翌日、学生の宿舎 右下)を煌々と照らす十六夜の月
日常の簡単な仕草や動作にも、日本人の思想や心があることを話してきたが、そのときは「うるさい先生だな」と思われたかもしれない。だから、1年後に学生から誕生日のお祝いをしてもらえるとはまったく思っていなかった。
単身赴任や連日の深夜帰宅で、家族などからこれまで自分の誕生祝いをやってもらったことはほとんどない。中国・南京で迎えた69回目の誕生日は、日中関係がきしみの中にある時、一服の清涼剤のように爽やかで感動的だった。
日本と中国はちょっとしたつまずきから、対立の火種がくすぶる不安定さを常に抱えている。しかし、表面的にはぎすぎすしても、一衣帯水の底流には、2000年来の交流を基盤に、ゆったりとしたよどみのない流れがあるように思う。日本語を学ぶ中国人学生が、中秋節と重なった日本人教師の誕生日を、ひらがな交じりで祝ってくれた心配りが、それを実証していると思う。中秋節当日はあいにく小雨で、望月を見ることができなかった。しかし、翌日、十六夜(いざいよい)の月は、教え子たちの想いを全部反映したように、煌々(こうこう)と輝いていた。
十六夜の月を見て、ふと願った。今、日本に留学したり就職した多くの教え子たちも、日本人からこのように誕生日を祝ってもらえる機会があるように、と。(写真はすべて筆者)
「北京週報日本語版」2010年11月3日 |