(~ウェンナン先生行状記~)
斎藤文男(南京大学日本語学部専家)
今年の中秋節は私の誕生日と重なった。授業の終わりにそのことを付け加えた。学生は「わ~っ!」といって拍手した。その晩、クラスの班長からメールがきた。「クラスで話し合った結果、中秋節のお祝いを兼ねて、先生の誕生日をお祝いしたい」。授業で一言余計なことを言ったばかりに、学生に負担をかけるのではないかと心配した。しかし、日中関係がぎすぎすしているとき、学生の思い遣りが非常に嬉しかった。当日、約束のレストランに行ってさらに驚いた。
◇きっかけは「写作」の授業◇
学生が開いてくれた中秋節と重なった誕生会は心温まるものだった
誕生会開催のきっかけは「写作」(作文)の授業である。9月16日の朝日新聞「天声人語」と、翌日17日の毎日新聞「余録」を取り上げ、文章表現の資料とした。ともに、夏から秋への季節の変わり目を話題にしていた。「天声人語」では、「けさの秋」という季語を取り上げ、中秋の名月の季節を待ち望んでいるという内容である。余録は、領地の境界を決める「ゆきあい」伝説から、夏と秋の神様も「ゆきあい」によって、季節の変わり目を決めるのだろうかと、夏の暑さが長くなることを憂いていた。
今年の夏の日本は異常な暑さだった。連日、37℃、38℃の「猛暑日」が続き、全国で熱中症により医療機関に緊急搬送された人は5万、亡くなった人は172人にも上った。私も日本に一時帰国していたが、日本ではあまり経験したことのない暑さだった。南京ではこれまで40℃前後の気温や、旅行先のトルファンでは50℃の気温も体験している。しかし、日本で体温以上の気温になるのは、めったにないことだった。
今年の日本は、9月に入っても35℃以上の気温が続き、ことさら秋の涼しさが待ち遠しく感じられた。このため新聞のコラム欄でも、秋を待ち焦がれている内容のものが多くあった。朝日新聞の「天声人語」、毎日新聞の「余録」は競うように同じような内容になった。
書かれた内容は、豊かな知識の情報量、言葉の表現、書き出しの工夫、文章の流れや全体の構成など、日本語を学ぶ学生にとって参考になる事柄が多く含まれていた。文章の書き方の教材にこの2つのコラムを取り上げて説明した。
そして授業の最後に、「明後日は中秋の名月ですが、この日は私の誕生日です」と付け加えた。
◇クラスの班長から誘いのメール◇
クラスの班長から「誕生日のお祝いをしたい」というメールがきたのは、その日の夜だった。軽々に自分の誕生日のことを授業で話したために、学生に余分な負担をかけることを私は心配した。学生は授業中の私の話を、最後まで注意して聴いていることに驚くとともに、迂闊なことは言えないと、改めて身の引き締まる思いを感じた。
学生が誕生会を開いてくれることは、もちろん嬉しい。とくに今、日中関係がぎくしゃくしている時、学生たちの温かい気配りが心に沁みた。中秋節22日の昼、一抹の後悔と喜びを半々に、約束のレストランに行った。
二重の輪のようになっている鍋で、外側は辛く中央は辛くないスープが入っている「鴛鴦(えんおう)鍋」を囲んだ。両脇の女子学生は鍋の肉や野菜、豆腐などを自らの箸を使って私の皿に取ってくれる。中国人のもてなし上手は21歳前後の若い学生のころから身についているようだ。食卓でこのように款待されたことはあまりない。
教室ではいつも後ろの席に座る淑やかな女子学生は、少なくなった具を鍋に入れたり野菜や肉の再注文をするなど、教室では見られない積極的な行動で“鍋奉行”役を見事にこなしていた。
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