斎藤文男(南京大学日本人教師)
新聞記者を定年退職後、中国・南京大学で日本語の作文指導をして、いつの間にか10年目になりました。
この間、日中間には「靖国」、そして今回の「尖閣」などぎくしゃくもありました。しかし、私は、身近にいる日本語を学ぶ若者たちに反日意識を感じたことは全くありません。時折、反日デモを起こすのは、日本語や日本をほとんど知らない少数の若者たちです。むしろ、若者の多くは、日本文化に強い関心を持っています。時間のかかる道かもしれませんが、気長で地道な文化交流こそが両国のしなやかで力強い互恵関係のカギになるのではないでしょうか。
まずは、読者が多分抱いておられるであろう疑問に答えます。その名を冠した「大虐殺事件」、そしてその記念館まである南京の地で、中国の学生たちはなぜ日本語を勉強するのか、ということです。 私も疑問でした。だから、01年10月、同大日本語科専家(外国人教師)として赴任して以来、毎年学生に「なぜ日本語を選んだのか」を聞いてきました。当初の答えは「英語科を希望したが、日本語科に回された」「親に勧められた」などでした。改革・開放政策から20年ほど経過し、物質的豊かさが市民にもやや実感できるころに入学した学生たちです。それにしては、大学での専攻を決めるのにあまり自主性がないと感じたことを覚えています。
◇漫画やアニメに高まる関心
それが、03年ごろからは「日本の漫画やアニメが好きで、日本語で読んだり見たりしたい」など自主的に選択する学生が増え、07年ごろには、「親や友人からは反対されたが、日本をもっと知ろうと思い自分で決めた」と言い切る学生も出てきました。
もちろん、テレビをつければ現在も抗日戦争ドラマが連日放送されていますし、毎年7月7日(盧溝橋事件)、9月18日(柳条湖事件)、12月13日(南京大虐殺事件)の節目には、新聞、テレビが、事件の概要や新たな証拠などを大々的に報道しています。
それでも学生たちは、日本語を学びたいと言うのです。日本のアニメや漫画、映画、雑誌といったサブカルチャーに魅力があるからです。アニメでは宮崎駿(はやお)監督の「となりのトトロ」(88年)「千と千尋の神隠し」(01年)、映画では岩井俊二監督の「四月物語」(98年)、漫画では「ドラえもん」「名探偵コナン」などが大好きなのです。好きこそものの上手なれではありませんが、「中国語に訳されたものではなく、原語で理解したい」という知的要求に転化もするし、「自ら翻訳家になりたい」という職業選択にもつながっているのです。この若者たちの自然で健康な日本への関心をもっと深め、もっと広げられないか、と思うのです。
数年前、「千と千尋の神隠し」を教材に作文を書いてもらいました。アニメに登場する人物の「それぞれの立場ならどう見える?」という趣向だったのですが、23人の学生のうち8人が「カオナシ」を選んだのには驚きました。
「カオナシ」は、「他人とうまくコミュニケーションが図れず、金によってのみ興味を引き、意のままにならないとキレて襲い掛かる」(キネ旬ムック「『千と千尋の神隠し』を読む40の目」)存在とされています。多分、宮崎監督は日本を意識されたのでしょうが、中国の学生たちは、逆に自分たちの国に「カオナシ」的なもの、特に現代中国にはびこる「金銭万能主義」を感じ取ったようです。日本語を学び、日本文化を理解することは、同時に母語と母国を顧みることにつながる、ということを学生たちが実感してくれた、と思います。
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