◇写作の教室から生まれた歌◇
手紙の文面は、養母に感謝する気持ちがとても素直に書かれていた。読み手に感動を与える模範的な文章だった。私は担当している「写作」の授業の資料として学生に紹介した。
教室から生まれた歌を女性は浴衣姿で
手紙の内容と慰問訪中の取材と合わせ、中国人養父母に感謝する「こんにちはとニイハオ」という歌詞を作り、3年生の学生が作曲をした。歌は写作の授業の教室から生まれたものだ。
この歌を、男女各3人、計6人の学生が日本語歌謡大会で合唱した。伴奏は私が習っている二胡演奏家・董金明老師の二胡と私のハーモニカの合奏だった。二胡とハーモニカの合奏など中国でも日本でも初めてのことだろう。
伴奏は2週間にわたって10回録音を取り、最後のものを使った。本番で女子学生は日本の浴衣姿、男子学生は黒のスーツで揃えた。浴衣は「日本」を、スーツは「中国」をイメージしてもらおうという演出だった。歌詞は6番まで作ったが次の3番を歌ってもらった。
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① こんにちはと你好(nihao) 你好(nihao)はこんにちは
話す言葉は違っていても にこにこ笑顔はみな同じ
出会いと別れ そのたびに 交わし深まる互いの思い
こんにちはは你好(nihao) 你好(nihao)とこんにちは
② ありがとうと謝謝(xiexie) 謝謝(xiexie)はありがとう
話す言葉は違っていても 伝える思いはみな同じ
あの時めぐり 会わなけりゃ 今のわたしは生きてはいない
ありがとうは謝謝(xiexie) 謝謝(xiexie)とありがとう
③ 日本人(にほんじん)は日本人(ribenren)
中国人(ちゅうごくじん)は中国人(zhongguoren)
話す言葉は違っていても 漢字で書けばみな同じ
世界に類なき 古い友 一衣帯水(yiyidaishui)歴史と文化
日本人と中国人 zhongguoren he ribenren
ribenren he zhongguoren
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◇次回は優勝しよう◇
学生たちはやや緊張していた。残念ながら入賞はならなかった。練習の時間が足りなかったのだ。歌い終わった後学生は「先生、すみませんでした」と謝った。入賞出来なかったのは、時間が取れず練習に付き合えなかったこちらの責任である。学生の責任ではない。「次回は優勝しようじゃないか。」次の機会がいつくるのか分からないが、私はそういって学生を励ました。
「こんにちはとニイハオ」を歌った学生6人と筆者(左端)
「次回」は、歌謡大会なのか、スピーチ大会なのか、あるいは就職試験や面接かもしれない。人生の大きな岐路の選択かもしれない。その時にこそ、最良の結果を出してほしい。学生時代の失敗はそのための一里塚にすぎない。学生時代の失敗は、卒業後に成功するための礎でもある。
失敗をするのは学生だけではない。ベテランの舞台役者でも、初日の幕が開く前にはかなり緊張するものだという。最後までセリフをトチらずに言えるか、観客の入りや受けはどうだろうか。不安材料はたくさんある。初日から満員となり、観客の受けもよく、それに乗せられて、演技も稽古時以上にうまく表現できた。こうなれば2日目以降は自信となり、ベテランの味が次第に出てくるというものである。あまり経験のない学生が本番で緊張するのは当然だ。失敗を成功の母にする術を身につければ、次のスピーチコンテストや大勢の前の舞台に立っても緊張感は和らぐだろう。
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