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評論  
「大災害に強い日本」を支えたものは?

本誌日本語専門家 勝又あや子

3月11日、東北地方をはじめとする東日本を襲ったマグニチュード(M)9.0の巨大地震。地震と津波による甚大な被害や原子力発電所の事故が世界の注目を集める中、地震後の日本社会の安定した社会秩序と災害に対する粘り強さが高く評価されている。震災後の日本で、社会秩序が比較的安定し、人々が落ち着いた行動を見せたのはなぜか?

災害に強いまちづくり

日本では地方自治体を中心に、防災計画をもとにした災害に強いまちづくりが進められている。医療や福祉、行政、避難、備蓄などの機能を持つ公共施設を集中させ、被災時に最低限の都市機能を維持できるエリアを設けたり、老朽化した建築物の多いエリアを防災性能を備えた防災街区として整備する事業が進んでいる。地域ごとに災害時応急活動の拠点となる施設を指定し、避難場所や避難経路を示した防災地図などで地域住民への周知が図られている。実際、住民の多くは少なくとも災害時に自分がどこに避難すればいいかを知っている。非常用食料や調理器具、給水器具などの防災用品を日頃から準備しておく自治体や企業、家庭も多い。

防災訓練で身についた避難行動

防災教育の成果も見逃せない。その代表が防災訓練だ。日本では、1923年9月1日に発生し日本災害史上最大の被害をもたらした関東大震災(M7.9)以降、発生日の9月1日が「防災の日」とされ、政府も含めた自治体、地域社会、学校、企業の多くがこの日に防災訓練を行う。

大手化粧品会社の資生堂でも、毎年「防災の日」に防災訓練を行っている。北京にある同社現地法人、資生堂(中国)研究開発中心有限公司の石舘周三総経理は、各国の責任者会議のため北京から一時帰国していて今回の大地震を体験した。会議会場となった同社研究所のある横浜の震度は5強。石舘氏は地震発生時の様子をこう振り返る。「地震が起きてすぐにテーブルの下にもぐった。揺れている最中に、出口から一番近くにいた人が出口に向かって這っていき、ドアを開けてストッパーで止めた。揺れが収まると全員が実験室に飛んで行った。ふと気づいたら、全員が備え付けの震災ヘルメットをかぶっていた」。ドアを開けるのは出口確保のため、実験室に向かうのは薬品や実験器具などの火元確認をするためだ。こうした一連の行動は毎年の防災訓練で教えられたもの。今回の地震で訓練の成果が証明された形だ。この間、各国から会議に参加していた外国人はただ呆然とするばかりだったという。

企業だけではない。防災訓練は学校教育の中にも取り入れられている。実際に避難するプロセスを繰り返し体験することで、日本人は子供の頃から地震が来たらどうすればいいのかを体で覚える。

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