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評論  
「開拓日」か?奪取日か?

 

【第二回調査結果1885年10月21日、外務卿の井上馨は内務卿の山県有朋にあてた書簡の中でこう述べている。「右嶋嶼ノ義ハ清国々境ニモ接近致候曩ニ踏査ヲ遂ケ候大東島ニ比スレハ周回モ小サキ趣ニ相見ヘ殊ニ清国ニハ其嶋名モ附シ有之候ニ就テハ近時清国新聞紙等ニモ我政府ニ於テ台湾近傍清国所属ノ嶋嶼ヲ占據セシ等ノ風説ヲ掲載シ我国ニ対シテ猜疑ヲ抱キ頻ニ清政府ノ注意ヲ促シ候モノモ有之候際ニ付此際遽ニ公然国標ヲ建設スル等ノ処置有之候テハ清国ノ疑惑ヲ招キ候間差向実地ヲ踏査セシメ港湾ノ形状并ニ土地物産開拓見込有無詳細報告セシムルノミニ止メ国標ヲ建テ開拓等ニ着手スルハ他日ノ機会ニ譲候方可然存候」(『日本外交文書』第十八巻、575頁)。

この時の調査でさらに、台湾に属する釣魚島が「清国に属する」ことが確認された。こうしたことを背景にして、井上馨は山県有朋に対し、中国側の反対を避けるため、日本が秘密裏に調査を行ったことを新聞公表せず密かに行うよう言い含めた。

【第三回調査結果】1885年11月24日、沖縄県令の西村捨三が内務卿の命を受けて行った調査の結果を上申し、指示を仰いでいる。「国標建設ノ儀ハ嘗テ伺書ノ通清国ト関係ナキニシモアラス万一不都合ヲ生シ候テハ不相済候ニ付如何取計可然哉」(『日本外交文書』第十八巻、576頁)。

甲午戦争(日清戦争)前、日本内務省は中国と釣魚島を争うのは時期尚早と見ていた。1885年12月5日、山県有朋は外務卿と沖縄県令の報告に基づき、次のような結論を下した。「秘第一二八号ノ内 無人島へ国標建設之儀ニ付内申沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在セル魚釣島外二嶋踏査ノ儀ニ付別紙写ノ通同県令ヨリ上申候処国標建設ノ儀ハ清国ニ交渉シ彼是都合モ有之候ニ付目下見合セ候方可然ト相考候間外務卿ト協議ノ上其旨同県へ致指令候」(【日】『沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件』、日本内務省『公文別録(明治15年~18年)』第四巻、明治18年(注:1885年)12月5日)。

注目に値するのは、日本が「台湾付近の清国所属島嶼を占拠しようとしている」という噂を中国の新聞が掲載したことについて井上馨が述べた内容が以下の重要な事実を証明している点である。(1)少なくとも甲午戦争の9年前には、日本政府は釣魚島が「清国に属する島嶼」であることをすでに知っていた。(2)甲午戦争前、日本が釣魚島を占拠しようとしているという風説が中国の新聞に掲載されたことは日本にとって不利であったため、日本側は公然と国標建設をすることをしばらく見合わせざるを得なかった。(3)日本が釣魚島の調査を公にせずにいた目的は、将来機会を待って占拠することだった。そのため、1893年、すなわち甲午戦争の一年前、沖縄県令が釣魚島の沖縄県帰属要求を行った際も、日本政府は「島が日本に所属するのか否か、未だ明確ではない」を理由に拒絶している。当時日本は密かに中国との戦争準備を急いでおり、釣魚島に手をつけてその野心が暴露することを懸念したのである。 

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