ズームライティー 歌を命のパスワードに
練習ホールで美しい娘さんが車椅子に座って静かに読書している。それは『花のように輝いて』という本だ。カールのかかった黒髪に水のように澄んだ瞳。彼女こそウイグル族のズームライティーさんだ。8月28日、パラリンピック聖火の採火式で彼女は感動的な歌『命のパスワード』を唄い、人々に深い印象を残した。
ズームライティー
ズームライティーさんは2歳のとき、熱を出して小児マヒを患ってから半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされている。彼女の母親は、娘を連れて頻繁に病院へ行かねばならなかったため、職場から辞めさせられてしまった。父親は普通の労働者、それに姉が1人と妹が1人、家庭は経済的に決して余裕があるとは言えなかったが、両親は彼女に対して至れり尽くせりの世話をしてきた。
ズームライティーさんは小さいころから歌が大好きで、両親も彼女が専門に歌を習い、さまざまなコンクールに参加するのをずっと支持し、励ましてきた。2000年、18歳になった彼女は、新疆芸術学院で初めてとなる身障者の本科生として採用された。05年、彼女は4年に1度の身障者のコンクールで優勝し、中国身障者芸術団に採用された。現在、彼女は1人で北京に暮らしており、両親と家族はまだ故郷の新疆にいる。
「この世に生きている限り、誰もが助けを必要としている。私も人の助けが必要だし、人も誰かの助けが必要」という彼女は、彼女が歌った『命のパスワード』の中の「感謝があるから命が喜びに満ちたものに変わる」という歌詞を地で行くようだ。
資 料
中国身障者芸術団は1987年に設立され、米国(6回)、ドイツ(2回)、日本(16回)、フランス(3回)など、60を超える国を訪れている。04年9月28日のアテネ五輪の閉会式では、すべてのパフォーマンスを同芸術団が行い、内外で好評を博した。07年、同芸術団はユネスコから「ユネスコ平和芸術家」に指定された。
同芸術団は世界から熱い視線を浴びており、アテネ五輪の閉会式の総合プロデューサーは、彼らの演奏曲は東洋の自然なサウンドで、耳の不自由な子たちの踊りは信じられないくらい美しい、と語った。また06年の訪米の際には、ワシントン州は5月18日を「中国身障者芸術団の日」として州政府に中国国旗を掲揚。さらに、日本の愛知万博閉幕1周年の記念事業および「愛は地球を救う」のイベント活動として行われ、日本テレビで生中継された『千手観音』の視聴率は22.4%を記録した。07年の20日間にわたる日本公演では、観客らが幅1.5m、長さ150mの白布いっぱいに感想の言葉を書き残した。
「北京週報日本語版」 2008年9月8日 |