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どう考える?幼稚園で哲学の授業
  ·   2017-11-23  ·  ソース:
タグ: 幼稚園;教育;社会
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一般の人々にとって、哲学は高尚で遠い存在だ。しかし杭州市のとある幼稚園では哲学の授業が行われており、園児に哲学について思考、探索させている。 

「天地のはじめは誰が言い伝えたのか。まだ天地の形がない時に、どこから生まれたのだろうか」。2000年以上前、偉大な詩人・屈原が哲学における究極の問いに答えようと試みた。深遠な学問である哲学は多くの哲学者と思想家を深い探究の道へと引き込んできた。そのため、多くの大学生や大人にとっても理解と内容の消化が難しい哲学を、幼稚園児がいかにして理解できるのか、助長抜苗となってしまうのではないかと疑問を呈す人もいる。 

しかし、このような懸念は必要ない。杭州の幼稚園では教科書として「やあ、アリさん」という絵本を採用している。これは小さな男の子が一匹のアリと出会い、踏み潰すべきかやめるべきか、人間とアリの異なる観点が描かれているストーリーだ。教師の指導を通し、子供たちは異なる角度から自然や生物との関係と生命の大切さを考えることができる。幼稚園の哲学の授業は伝統的な学術意義における哲学と同じではなく、子供たちに生活に潜んでいる哲学について考えさせ、彼らの好奇心と探求心を刺激して守るのだ。このように、幼稚園での哲学の授業開設は子供たちに助長抜苗の作用をもたらすことはなく、自分の力で考え批判させ、知性を育てる助けになる。 

アリストテレスはかつて「哲学は驚きから始まる」と言った。驚きとは、物事の発生や展開と自分の予想が大きくずれた時に起こる情動反応だ。子供が生まれ持った好奇心はまるで驚きの宝庫であり、そこには世界に対する最も真摯な見方や気持ちが潜んでいる。例えば愛や友情、また生や死の意義なども含まれている。このような概念は幼稚園の哲学の授業でうまく指導し、子供たちにこのような概念は抽象的な標語ではなく、確かに日常生活の中に溶け込んでおり、様々なことが哲学に繋がっていると感じさせることができる。 

実は、海外の一部の幼稚園と小学校では子供の好奇心と探究心を養うため、似たような授業を行っているところがある。例えば日本では、一部の幼稚園と小学校で哲学の授業ではないにしろ社会、道徳、法律の授業などが行われ、その中に哲学的思考が含まれている。多くの授業の答えには絶対的な正誤がなく、子供たちに自分の力で考え、自分の判断の根拠を整理することを要求している。 

海外のこのような幼児哲学教育の経験は学ぶ価値がある。結局のところ幼児哲学教育は新しい物で、改善すべきところが多い。例えば教科書の選択、カリキュラムの作り方、教師の資質など、これら全てに教育部門が決定したシステムによる養成プランが必要で、少数の幼稚園が独自で行っていいものではない。幼稚園の哲学の授業では功利的な考えは排除し、詰め込み式の教育を防ぎ、子供たちそれぞれに自分の意見を発表させるべきだ。また園児には子供らしさを保たせ、絶対に成長の秩序を乱して「ませた子供」にしてはならない。 

哲学は雲をつかむようなもので、ほとんどの問いかけは「役に立たない」上に「解がない」。しかし世界と人生における重大な問題に対する思考を通して、哲学は子供たちに広い視野と知的な生活態度を与える。これらの品性は必ず彼らの今後の人生を教え導くことだろう。 

「北京週報日本語版」2017年11月23日

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