上海青浦区にある金澤は橋で名高い古い鎮だ。「江南屈指の橋の古里」と称されている。橋や水の多いのが、金澤の特徴。下塘街一帯では河道350メートルごとに5基の古い橋が架かっており、いずれも宋代から元、明、清の4王朝にかけて建造された。4つの王朝の古橋が一直線上に並んでいる。
◆万安橋(宋代)
万安亭橋とも言う。宋代景定(1260~1264)年間の建造で、石造の単一アーチ形の橋。のぼりは緩やかで、径間は広く、かつて川と空が一体になって紺碧を呈する奇観が見られたという。
◆普済橋(宋代)
紫石で築かれているので、俗に紫石橋とも称されている。1267年の建造。橋の頂部の板石に「咸淳三年」の4文字が刻まれている。上海で最古のアーチ橋だ。
◆迎祥橋(元代)
金澤鎮の南端に位置する。6つの柱と5つのアーチがあり、橋面は煉瓦で築かれ、橋身は非常に薄く、まるで長い虹が川の上に横たわっているかのようだ。金澤の古代八景の1つ「迎祥夜月」は、この橋のこと。
◆放生橋(明代)
崇禎年間に再建された。橋のたもとに総管廟があるので、総管橋とも呼ばれている。古風で質朴、優雅な姿をみせ、アーチの支柱は堅牢だ。今でも鎮の中心部から東岳廟に至る通り道になっている。
◆如意橋(清代)
単一アーチ形の石橋。光緒年間に再建された。金澤に現存する古橋のなかで保存状態が最もよい。
●橋の間に廟あり、廟の間に橋あり
金澤古鎮では橋も水も多いが、廟も多いことから、「橋の間に廟あり、廟の間に橋あり」と言われてきた。民国時代までは、道教の寺が1、寺院が2、高殿が3、庵が4、廟が13あったという。歴史の変遷を経て、橋と関係する廟の多くはすでに姿を消してしまったが、橋の名前や側壁に彫られた対れん から、深い仏教上の意味が感じ取ることができる。現在でも、多くの橋の傍らには一部寺院や庵の跡が残っている。例えば、塔匯橋の玄通庵や林老橋の関帝廟、放生橋の祖師廟、天王閣橋の天王廟など。一番有名なのは、普済橋のたもとにある頤浩禅寺だ。
頤浩禅寺は南宋の宰相、呂頤浩によって建立された。元代に最盛期を迎え、かつては「江南の冠」と呼ばれた。元代の書画家の趙孟頫や、文学者の唐順之らがここを訪れており、頤浩禅寺で有名な「不断雲石」に趙孟頫の筆跡が見られる。
「北京週報日本語版」2007年3月2日
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