日本が過剰生産能力問題を抱えた時期は過去に大きく2度あった。高度経済成長後期の1970年代とバブル経済崩壊後の2000~2005年だ。1970年代の状況は現在中国が抱える状況と似た部分がある。
日本は1970年代の過剰生産能力問題を解決するため、企業に対して海外投資の増加を奨励すると同時に、経営資源再編を誘導した。当時の円上昇、中国や東南アジアの豊富で質の高い、安価な労働力、およびアジアの垂直産業構造が日本の海外投資拡大と過剰生産能力の海外移転に有利な環境を提供した。日本政府は財務改善、合併・買収、傘下の赤字企業と赤字業務の処分へと企業を誘導。企業自身も給与制度改革、能力給制度の導入、非正規雇用の増加などによって競争力を高めた。
若杉隆・京都大学名誉教授によると、1970~80年代、日本では利益を生まない設備を大量に抱える企業が少なくなかった。当時多くの企業は競争相手が設備を廃棄するのを待ち、自社は廃棄しようとしなかった。こうした状況を前に、日本政府は過剰生産設備の廃棄を促す計画を策定。まず構造的不景気業種を指定することで、設備処分を行う必要があるとの認識を企業に持たせた。次に処分する設備の種類、規模、処分方法、同種設備の増加制限といった内容を含む計画を策定し、処分計画の順調な実施を促した。また、比較的低い利息で融資や債務保証を行うことで、過剰生産設備を処分する企業を支援し、新事業分野へのシフトを促した。また、企業間で設備処分関連の合意を締結することで、独占禁止法に違反しないことを保証した。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年12月23日 |